日本歴史地名大系 「長泉寺」の解説
長泉寺
ちようせんじ
東西に走る国道七号の北側、(海老)
長泉寺
ちようせんじ
を開山として、文明三年(一四七一)関東管領上杉顕定が開基したと伝える。戦国期に当地は甲斐武田氏と小田原北条氏の相克の地ともなり、永禄一二年(一五六九)武蔵進攻を図る武田氏は、一一月一九日に「武州長泉寺」に高札(長泉寺文書)を発給し、寺中における武田方軍勢の乱妨狼藉を禁じている。また元亀元年(一五七〇)八月一〇日には当地方の領国化を図る
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
」とあることと、鎌倉時代の仏像二躯を伝えるところから、鎌倉時代に創建され、室町時代に再興されたとも考えられる。
長泉寺
ちようせんじ
湯沢山と号し、本尊阿弥陀如来。時宗。創建年代は未詳だが、慶応四年(一八六八)に提出された由緒書(寺記)によれば、武田義清が病気になったとき境内の熊野権現社中から湧き出た温泉に入り平癒したため、開基となり建立したという。もとは真言宗で、のちに遊行二祖他阿真教を開山として時宗へ改宗した。文和三年(一三五四)には遊行八代渡船が当寺に立寄っており(遊行八代渡船上人廻国記)、永正一七年(一五二〇)九月一日、二四代不外は
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
長泉寺
ちようせんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報