北泊役所跡(読み)きたどまりやくしよあと

日本歴史地名大系 「北泊役所跡」の解説

北泊役所跡
きたどまりやくしよあと

[現在地名]鳴門市瀬戸町北泊

小鳴門海峡の北の入口、北泊地区北東の集落中央部にあった。淡路以西の瀬戸内海沿岸や西国への出入口として重要な関門であった北泊口に置かれた役所。北泊御屋敷ともよばれ、岡崎おかざき役所とともに岡崎口から北泊口に抜ける小鳴門海峡を通る船の監視を行った。慶長一九年(一六一四)徳島藩主蜂須賀至鎮は北泊湊を管理する益田壱岐守に対し「撫養北泊上下之舟」は改めを行ったのち通すことなど、海峡を通過する船の厳重な警戒を命じており(「通船制道申付覚」田淵家文書)、当役所も江戸時代前期には設けられたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む