北泊浦(読み)きたどまりうら

日本歴史地名大系 「北泊浦」の解説

北泊浦
きたどまりうら

[現在地名]鳴門市瀬戸町北泊せとちようきたどまり

どう浦の北、小鳴門海峡の北の開口部にあり、東の島田しまだ島の北岸部をも含む。北は播磨灘に面する。日出ひうで湾南岸の小海が池おうみがいけ(現小海)は海が干上り田地となった地で飛地であった。小鳴門海峡入口部の本島北端部の平地集落が開け、大部分は小高い山地からなる。小鳴門海峡沿いに南の堂浦に至る道と対岸島田島に渡る北泊渡がある。撫養むや湊の北の出入口湊として西国海上交通の要衝であった。文安元年(一四四四)一一月から翌二年一一月まで摂津国兵庫北関に入港した小型船舶の関銭納帳である「兵庫北関雑船納帳」によると、北泊を船籍地とする船舶が同二年八月から一一月にかけて同関に合計五回入港している。積荷はすべて木で、燃料用の薪材として京畿内方面へ搬出されたものである。積荷数量は八月一一日入港分三〇把、九月一三日分五〇把、一〇月一九日分五〇把と一〇〇把、一一月一六日分七〇把で、合計数量は三〇〇把であった。木津きづ撫養とともに室町期には京畿内方面への物資の供給地としての役割を担っていた。

正保国絵図には北泊浦とあり、高二〇石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では田一二石余・畠七石余、芝山注記がある。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では七七石余が蔵入地とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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