北潟村(読み)きたがたむら

日本歴史地名大系 「北潟村」の解説

北潟村
きたがたむら

[現在地名]栄町北潟

大面町おおもまち村の北に位置する。村内から平安期の須恵器土師器が出土している。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)の仁科孫太郎知行のうちに「太面之北かた」とみえる。慶長一〇年(一六〇五)新発田藩の給知方村々高目録(新発田市史資料)には北方村とあり、毛付四二二石七斗余・荒二九九石二斗余。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)によれば五軒に炉役八斗五升が課され、山手も負担している。寛永五年(一六二八)検地帳(天保九年写、佐藤孝夫氏文書)によれば新左衛門以下一〇四人が名請され、田方三一町三反余・畠方六町三反余、分米合計二九九石四斗余、延宝五年(一六七七)北潟村本田畑検地帳(文政七年写、小師貞次郎氏文書)によれば田方四一町一反余・畑方八町四反余、名請人五九人。


北潟村
きたがたむら

[現在地名]加茂市北潟

信濃川左岸の自然堤防地上に開けた村で、南は後須田うらすだ村、東は古川ふるかわ新田(現白根市)正保国絵図村名がみえ、新発田藩領。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によれば物成高一三六石五斗余、家数二七・人数二〇八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android