日本歴史地名大系 「北目町」の解説 北目町きためまち 宮城県:仙台市仙台城下北目町[現在地名]仙台市北目町・五橋(いつつばし)二丁目・一番町(いちばんちよう)一丁目・中央(ちゆうおう)一丁目柳(やなぎ)町の南東につづく通町(とおりまち)通(奥州街道)の両側町で、東裏・西裏とも侍屋敷が並ぶ。町並の長さは三町(奥陽名数)。町方二四町の一〇番目に列する(明治二二年城下町検断肝入職制写「仙台市史」所収)。国分(こくぶん)町や二日(ふつか)町と同様、仙台開府以前に当地方を領有していた国分氏の一族家臣で、名取郡郡山(こおりやま)北目から慶長年間(一五九六―一六一五)に移住した北目衆によって作られた町とされる。町取立てについても当町検断の一人関口家が慶長六年から当地に住したこと(年未詳北目町願状写「仙台市史」所収)、北目観音堂やその別当賢聖(けんしよう)院が慶長年間に北目から移されたと伝えることなどから慶長年間と考えられる。寛永九年(一六三二)の連署状(石母田家文書)に当町の六郎右衛門・五郎兵衛・四郎左衛門・又兵衛・甚内の名がみえる。町の規模は元禄八年(一六九五)の軒数六一・検断二・肝入一(仙台鹿の子)、明和九年(一七七二)の宅地六二、男四七〇・女三二三(封内風土記)、寛政(一七八九―一八〇一)頃の書上(「仙台市史」所収)では家数二三二のうち蔵三三、弘化二年(一八四五)の軒数七八(奥陽名数)、嘉永五年(一八五二)の人頭九九人、人数六〇三(切支丹宗門改人数)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by