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北部同盟 ほくぶどうめいLa Lega Nord-Italia Federale

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北部同盟
ほくぶどうめい
La Lega Nord-Italia Federale

略称 LN-IF。ロンバルディア同盟,レガ・ノルドともいう。イタリアの政党。 1979年創設のロンバルディア同盟が母体となり,91年2月に北部地域の政党連合体として結成された。ロンバルディア地方を中心に,中央集権体制に反発し,地域主義的権益の擁護と自治権拡大,移民者の制限などを主張している。 1990年の州議会選挙で躍進し,92年の総選挙では第4党に浮上,93年のミラノ市長選挙をはじめ北部の地方選挙で圧勝した。 94年3月の総選挙に際しては右派連合の自由同盟に加わって勝利し,フォルツァ・イタリア党首 S.ベルルスコーニ政権を支えたが,同年 12月,首相のスキャンダルを契機に自由同盟を脱退した。 96年7月,98年1月の総選挙では単独で戦い,第4党の地位を確保した。

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デジタル大辞泉の解説

ほくぶ‐どうめい【北部同盟】

《〈イタリア〉Lega Nordイタリアの政党。北部の富が南部に再配分されているとの不満をもとに1991年に結党。一時は北部の独立を訴えたが支持を得られず、連邦制を目指す穏健路線に転じた。たびたび自由の人民などとの連立で与党となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北部同盟
ほくぶどうめい

北部イタリアの各地に生まれてきた地域主義の運動。ロンバルディア同盟、ベネト同盟、ピエモンテ・ユニオンの連合体として、1991年に結成された政治運動の名称。初めは泡沫(ほうまつ)的存在だったこの動きが、イタリア政界の台風の目になる背景には、いくつかの遠因があった。社会主義の崩壊は、「マルクス・レーニン主義」というイデオロギー的煙幕を消滅させ、右・左を問わず、有権者にそれまでのような既成政党への肩入れの必要性を感じなくさせていった。そうしたなかで、既成政党はその魅力を失い、しかもイタリア特有の国家や公共組織の非能率、官僚機構のむだと非生産的体質への有権者の不満は高まっていった。こうした不満の声が、南部ではなく北部で、北部同盟という一つの運動体として形成されてきた背景として以下の事由があげられる。北部は南部より裕福な地方で、政党の管理下にある地方公共団体に頼らない有権者が多く、しかも市民の税負担率もほかの地方に比べて圧倒的に高い。それに対し南部では、政治家と支持者のもたれあいが強く、各種の補助金や便宜供与への依存度がきわめて高い。そうしたことが、北部の有権者の間に、南部への強い反感となって表れ、イタリア「南部問題」の伝統的処方策としての南部優遇措置への不満として爆発したのであり、北部の「豊かさ」を自分たちだけで享受するという地域主義の具体的な運動体の形をとるようになった。
 北部において、隠然、公然と語られてきた不満に一挙に火をつけたのが、1993年、政・財・官のトップを巻き込んだ政治汚職の全面的な摘発とそれを支持する大国民世論だった。それは選挙制度を比例代表制から小選挙区制に改正させ、1994年3月、新選挙制度のもと、最初の総選挙が実施された。そうしたなかで北部同盟は、既成政党の外側にあって、政党政治を徹底的に批判してその存在を有権者の間に強くアピールし、全国平均では8.4%、とりわけ北部イタリアでは18%から20%の得票を獲得した。こうしてキリスト教民主党の強力な支持基盤であった同地域で、イタリア統一国家の構造そのものに異をとなえ、連邦制を主張する自治権要求運動が生まれてきたのは、イタリア近代史上初めてのことだった。北部同盟はS・ベルルスコーニの「フォルツァ・イタリア」、およびネオ・ファシストの国民同盟と右翼連合を結成して選挙を勝利に導き、右翼連合政権に参加した。ところが2年後の総選挙では、右翼連合から離れて単独で戦って、得票率も10.1%にまで伸ばした。とりわけイタリア最大の工業・商業地帯を抱えるロンバルディア州では30%近い支持を集めて第一党になった。そして90年代後半には、北部の諸州だけでなく、中部イタリアやウンブリア州までを含めた11の州の、トスカーナ州主導による「パダーニャ共和国」の「独立」宣言まで計画したが、その後は連邦制への移行による自治権の拡大を目指す路線に転じた。こうした北部同盟は、今日、世界各地にみられる地域主義的・民族主義的紛争との程度の差や現われ方の違いはあれ、同時代的かつ同質的性格をもった、「富める側」からの動きである。[片桐 薫]
 2001年の総選挙では、北部同盟の得票率は最低の3.9%であった。それでも、ベルルスコーニが率いる「フォルツァ・イタリア」などと右派連合「自由の家」を結成して政権に参加した。2006年の総選挙では左派連合が勝利し、北部同盟は得票率4.6%と低迷を続けた。しかし、2008年4月に行われた総選挙では得票率8.3%を獲得、ベルルスコーニを首相とする右派政権を構成することになった。増加する移民と外国人犯罪によって反移民感情が国民の間に広がり、北部同盟が移民規制の強化を訴えたことが躍進につながったとみられている。そしてベルルスコーニ新政権では、移民対策を担う内相に北部同盟のロベルト・マロニが就任、ほかに北部同盟から3人が入閣した。一方、イタリアが移民規制を強化することに対して、ヨーロッパなどの人権保護機関などから懸念が表明されている。[編集部]

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