(読み)ホク

デジタル大辞泉 「北」の意味・読み・例文・類語

ほく【北】[漢字項目]

[音]ホク(呉)(漢) [訓]きた
学習漢字]2年
〈ホク〉
きた。「北緯北極北国北上北西北端北部北風北方北洋極北硯北けんぼく・最北・朔北さくぼく南北
背を向けて逃げる。「敗北
〈きた〉「北風北国北半球
[難読]台北タイペイ北京ペキン北叟笑ほくそえ

きた【北】[地区の俗称]

江戸城の北の吉原遊郭、大坂の曽根崎新地堂島の俗称。→西
[補説]現在では多く、堂島に近い梅田の繁華街をさし、「キタ」と書く。

きた【北】

太陽の出る方に向かって左の方角。⇔
北風。 冬》「―寒しだまって歩くばかりなり/虚子
[補説]地名・書名別項。
[類語]西

きた【北】[大阪市の区]

大阪市北部の区名。中之島公園天満天神造幣局などがある。平成元年(1989)大淀区を合併。また、特に大阪駅・大阪梅田駅周辺の繁華街の称。

きた【北】[京都市の区]

京都市北部の区名。昭和30年(1955)上京区から分離。大徳寺鹿苑寺上賀茂神社などがある。

きた【北】[浜松市の旧区名]

浜松市の旧区名。令和6年(2024)大半が浜北区と統合され浜名区に、南東部が中央区となった。

きた【北】[東京都の区]

東京都北部の区名。荒川右岸にある。昭和22年(1947)滝野川・王子の両区が合併して成立。明治時代から製紙・印刷業が発達。大規模住宅団地や飛鳥山公園がある。人口33.6万(2010)。

きた【北】[岡山市の区]

岡山市の区名。造山古墳吉備津神社岡山城などがある。

きた【北】[書名]

《原題、〈フランス〉Nordセリーヌの小説。1960年刊。「城から城」「リゴドン」と併せ、「亡命三部作」「ドイツ三部作」などとよばれる作品群の第2作目。

きた【北】[神戸市の区]

神戸市北部の区名。宅地化が進行。有馬温泉がある。昭和48年(1973)兵庫区から分離。

きた【北】[新潟市の区]

新潟市の区名。阿賀野川の東岸を占める。旧豊栄市域を含む。

きた【北】[札幌市の区]

札幌市北部の区名。北海道大学がある。

きた【北】[さいたま市の区]

さいたま市北部の区名。旧大宮市の北部にあたる。盆栽村がある。

きた【北】[熊本市の区]

熊本市の区名。植木地区はスイカの生産がさかん。

きた【北】[名古屋市の区]

名古屋市北部の区名。住宅地・工業地。

きた【北】[堺市の区]

堺市の区名。住宅地化が進む。

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精選版 日本国語大辞典 「北」の意味・読み・例文・類語

きた【北】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 方角の名。日の出る方に向かって左の方向。十二支では子(ね)の方角に当たる。
      1. [初出の実例]「山の陽(みなみ)を影面(かけとも)と曰ふ。山の陰(キタ)を背面(そとも)と曰ふ」(出典:日本書紀(720)成務五年九月(熱田本訓))
      2. 「三条の大路よりきた」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭)
    2. 北風。《 季語・冬 》
      1. [初出の実例]「朝きたの出で来ぬさきに綱手はやひけ」(出典:土左日記(935頃)承平五年二月五日)
      2. [その他の文献]〔日葡辞書(1603‐04)〕
    3. きた(北)の方(かた)」の略。
      1. [初出の実例]「北の慶寿院殿をはじめ奉りて上下御よろこび限なし」(出典:室町殿日記(1602頃)一)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 江戸城の北にある遊里、新吉原を、南の品川に対していう。北郭(ほっかく)。北国(ほっこく)
      1. [初出の実例]「北の南のたつみのと、えしれぬかたへいざなひける」(出典:黄表紙・高漫斉行脚日記(1776)上)
    2. [ 二 ] 大阪の堂島川、土佐堀川を分ける中之島から北側の地域。特に堂島の付近をいい、また、梅田新道などの歓楽街をさす。
    3. [ 三 ] 大阪市の曾根崎新地の俗称。北の新地。
    4. [ 四 ] 大阪市の北浜の略称。
    5. [ 五 ] 東京都二三区の一つ。昭和二二年(一九四七)、滝野川区・王子区が合併して成立。東京都の北東部、荒川の右岸にある。低地には製紙、化学、印刷などの工業が、台地には住宅地が発達する。
    6. [ 六 ] 京都市の行政区の一つ。昭和三〇年(一九五五)上京区から分離して新設。北山丸太の産地で林業が盛ん。南部の市街地は高級住宅地。金閣寺、大徳寺などがある。
    7. [ 七 ] 大阪市の行政区の一つ。明治二二年(一八八九)大阪市制施行と同時に成立。大阪市の都心部を形成する経済、文化、交通の中心。
    8. [ 八 ] 名古屋市の行政区の一つ。昭和一九年(一九四四)東区と西区から分離して新設。染色業、窯業、繊維工業を主とする工業地帯であったが、現在は住宅団地の造成も進む。
    9. [ 九 ] 札幌市の行政区の一つ。昭和四七年(一九七二)市が指定都市となったときに発足。明治八年(一八七五)、屯田兵の入植によって開かれた。北海道大学、茨戸湖などがある。
    10. [ 十 ] 神戸市の行政区の一つ。昭和四八年(一九七三)兵庫区から分区成立。六甲山地北麓一帯を占める。有馬温泉がある。
    11. [ 十一 ] さいたま市の行政区の一つ。平成一五年(二〇〇三)成立。旧大宮市の北部にあたり、盆栽村がある。
    12. [ 十二 ] 青森県の東部におかれていた郡。明治一一年(一八七八)上北・下北の両郡に分割されて消滅。
    13. [ 十三 ] 北アルプスの略称。

きた【北】

  1. 姓氏の一つ。

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普及版 字通 「北」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 5画

[字音] ホク・ハイ
[字訓] きた・そむく・にげる

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 会意
二人相背く形に従い、もと背を意味する字。〔説文〕八上に「乖(そむ)くなり。二人相ひ背くに從ふ」とあり、また日に向かって背く方向の意より北方をいい、背を向けて逃げることを敗北という。南は陽にして北は陰。墓地は多く北郊に営まれ、洛陽ではその地を北(ほくぼう)といった。

[訓義]
1. きた、陰の地。
2. そむく。また背に作る。
3. にげる、やぶれる。
4. 別と通じ、わける。
5. 伏と通じ、かくれる。

[古辞書の訓]
〔名義抄〕北 キタ・ノガル・サル・ニグ・ヤブル・ソムク 〔字鏡集〕北 ニグル・ソムク・ヤブル・ノガル・ヤラル・ニグ・キタ・サル・マク

[部首]
〔説文〕に冀(き)をこの部に属し、〔玉〕になお乖(かい)を加える。冀は金文の字形によると異に角飾を加えた異相の神の形で、北に従う字ではない。のちの字形によって、角飾を北と誤ったものであろう。また乖は背の肩甲骨のつけ根の肉の形、その肉筋の象形で、二人相背く北とは、形象の意味が異なる。

[声系]
〔説文〕に北声として背・(はい)の二字を収める。背は北の後起の字。人の背面の肉で、〔説文〕四下に「脊(せき)なり」という。脊はその肉の形に従う。は卜文に北としるし、・衛のの初文。ただ北方の北と、その筆意にいくらか異なるところがある。

[語系]
北pk、背pukは声義近く、通用することがある。(負)biu、敗beatも敗北の意に用いるが、は負戴。敗は盟誓などをしるした鼎の銘を毀敗し、誓約に背く意で、それぞれ字の原義に異なるところがある。

[熟語]
北夷・北裔・北轅・北音・北海・北涯・北郭・北学・北岳・北・北雁・北帰・北客・北宮・北・北曲・北垠・北京・北闕・北行・北荒・北郊・北朔・北司・北至・北寺・北畤・北室・北首・北戎・北渚・北上・北辰・北津・北垂・北陲・北陬・北征・北・北窓・北・北地・北庭・北狄・北斗・北土・北冬・北堂・北道・北馬・北鄙・北風・北辺・北房・北・北冥・北溟・北面・北遊・北洋・北里・北陸・北虜・北方
[下接語]
以北・河北・冀北・窺北・研北・硯北・江北・降北・挫北・塞北・朔北・城北・水北・西北・東北・逃北・北・南北・背北・敗北・幕北・漠北・奔北・有北・佯北・洛北・嶺北

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改訂新版 世界大百科事典 「北」の意味・わかりやすい解説

北 (きた)

観測点から見た地平面の方向を方位といい,東西南北の4基点をもとに北,北北東,北東,東北東,東……など16方位で呼ぶのが一般的である。北は,観測者が太陽の昇る方向(東)に向いたとき左手に当たる方向で,英語のnorthもインド・ヨーロッパ語系のner(on the leftの意)に由来している。古来,中国や日本では十二支(干支(かんし))で方位を呼び,北は子に当たる。

現代人の場合はどうか知らないが,伝統的な日本人の感性にあっては,〈きた〉(北)といえば寒冷,静寂,冬,夜,暗黒,死者などのイメージが付きまとうほか,女性,胎内,水,知恵などとの連想のもとに観念されることが多かった。北風はつめたいものと決まっているし,北向きの部屋はもの静かで暗く,瞑想するにはもってこいの住居空間である。史実をみても,日光東照宮は江戸から真北に当たる霊廟であり,〈北の政所(まんどころ)〉〈北の方(かた)〉〈北の対(たい)〉〈北の台(だい)〉などの尊称は貴人(大臣,大将,公卿など)の妻室の居所から出た呼び名であった。また,〈北面(きたおもて)〉とは,女性のいる勝手口(奥向き,ないしょの意もある)をさす。たとえば,《枕草子》に,宮仕えしている女房の局(つぼね)に通ってくる恋人の男がそこで食事するのははなはだみっともないと叙した文章の末尾に〈里などにて,北面よりいだしては,いかがはせん。それだになほぞある〉(女房が実家にさがっているときに,ないしょで食事を出してやったような場合には,これはしかたない。そんな場合でも,やはり,みっともないことに変りはないが)と記しているのでわかるように,女性のみが出入りする場所を言った。江戸時代にも〈北御部屋(きたのおへや)〉といって将軍家大奥の居間があり,御台所(みだいどころ)や中﨟(ちゆうろう)が懐妊すると,5ヵ月目からこの部屋へ移った。一方,こんにちでも普通におこなわれる習俗である〈北枕〉は,仏教で釈迦涅槃像(しやかねはんぞう)にまねて死人の枕を北へ向けて寝かす臨終時の行儀作法である。このようにみてくると,日本人の〈きた〉に対する感じ方には確かに一定のパターンがあったと言わなければならない。

 しかし,その根拠や理由を突き止めるとなると,かならずしも容易ではない。だいたいの見通しとしては,日本列島住民の生活習俗の根底部分に古くから陰陽五行思想が行き渡っていて,これが宮廷行事から民間信仰に至るまでの認識論体系を織り上げていたことと深い関係があるらしい,とだけ言っておこう。

 まず,手がかりとして,〈きた〉の語源から調べていこう。貝原益軒《日本釈名(にほんしやくみよう)》(1699)は〈北 直指抄云,北方は其色黒し。上古には黒き色をきたなしと云。なしの文字は無の字の義にはあらず,語の助也。○直指抄の説まことに明か也。或又北は陽のはじめて生ずる方なれば,万物いきいきたるの意歟(か)。冬至子の半,一陽来復すれば也〉と説明づける。益軒の語源説明は,東を〈日頭(ヒガシラ)なり。らの字を略す。日のはじめて出る所,かしら也〉,西を〈いにし也。日は西へいぬる日のいにしと云意。いを略す〉,南を〈万物皆みゆる意。日の南にある時,あきらかにしてみな見ゆる也〉というふうに,方位を示す日本語がすべて太陽の所在場所に由来すると説いているのだが,いくぶん駄洒落(だじやれ)ないし語呂遊びのきみはあるものの,案外に日本古代人の世界認識に触れえていなくもないと思われる部分をも包含している。というのは,時間季節の名称とか色名とかにも太陽の運行をもとにした呼称法が用いられたと考えてよいからである。しかしながら,益軒の〈北は黒,黒はきたない〉説や〈北は陽のはじめ,万物いきいきたるの意〉説をこじつけと感ずる同時代人が現れたのは,これまた当然で,大塚嘉樹《蒼梧随筆》(1800)は〈白石君の東雅の解に見へしを釈日本紀,和名抄の如きに牽合して聊愚見を以て己れが好める方に荷担せしなり〉と注記しつつ,つぎのような語源説を提起してみせる。〈北,きたは分にてわかつの義なり。上古のとき,此葦原の中津国の地方は,北の方は越の山重りて東西をへだち分ちたり。是も都より東へ下り行くときに,南は東西に打つゞきて見へるが,北の方は上にいへるごとく,越の山重りへだゝりて東西を分つなるによて,分の字の義にてきたといへるなり。即ち南へ対したるの訓なり。分の字の訓をきたと云るは,日本紀の訓にて,大分君をおほきたのきと訓じ,又おほきたのきみとも訓ぜしなり。又和名抄に筑前国新分郡をいきた郡と読せたるも,是分をきたと訓ずるの拠る所なり。また段の字をきたと訓て,神代に素盞烏尊の八岐の大蛇を截断て三段となし玉へるなり〉〈全く上世に朝夕の日の出と夕べの日の没とを分ちし方なるを以てきたと云なり〉(巻之二,東西南北之和訓)と。なるほど,大塚嘉樹説のほうが貝原益軒説よりも合理的思考を数歩すすめたことは確かであるが,それにしても,〈きた〉と太陽の所在する方向とを切り離して考えない点ではまったく同じであり,どうやら古代日本人の方位呼称と太陽の射し入る方角ないし明暗度とは密接な関係があると考えるのが妥当のようにおもわれる。

 ところが,一歩しりぞいて,東を日が差しそむる空を仰(=青)ぐ色としたり,南を物皆が見ゆる明(=赤)い方角としたり,西を日禰之(=日没)の著(しる)(=白)き方向としたり,北を日の出と日の入りとを分かつ暗(=黒)き穢(きたな)き方位としたりした,古代日本人のごたごたとして矛盾の多い原始心理を,中国伝来の陰陽五行思想の宇宙論システムの網目をとおして整頓し直してみると,いっさいがまことにすっきりしてくる。すなわち,記紀神話であれ祝詞であれ,詩歌であれ造形芸術であれ,はたまた宮廷呪術であれ民間信仰であれ,日本古代人が抱懐した方位感覚は,陰陽五行の中国哲学に準拠して学習=摂取に努めた結果として獲得したものであった。ずさんだったり矛盾だらけであったりするのは,当時の知識人の学力不足の結果であるか,民衆の一知半解ゆえの早とちりの結果である。北についていえば,陰陽五行説は,五番目の気を水とし,五色では黒,五時では冬,五星では辰星,五常では智,十干では壬と癸,十二支では亥・子・丑,月では十・十一・十二月をあらわしている。この基本システムを透視しさえすれば,古代日本人が多少は無理のある方位解釈をおこなったことも,非難するには当たらない。むしろ,非難に値するのは,平安時代になって,王朝貴族たちが本気で〈方違(かたたがえ)〉などの迷信を広めたことのほうである。
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北 (きた)

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日本歴史地名大系 「北」の解説


きたなだ

市北部の瀬戸内海に面した地域一帯をさす名称。名称は同地域が徳島県の最北端に位置し、島嶼部を除いて唯一徳島県が瀬戸内海の播磨灘に面する地であることに由来するとみられる。吉野川流域とは讃岐山脈(阿讃山脈)を隔てており、平地部には乏しいため、古来より漁業を中心に生業が営まれてきた。古くは島田しまだ島北端のむろから讃岐国境にかけての漁場を北浦と称していた。江戸時代には櫛木くしき粟田あわた大浦おおうら宿毛谷すくもだにとりまる折野おりの大須おおず碁浦ごのうらの八ヵ村は北灘八ヵ村とよばれ(元居書抜)、文化七年(一八一〇)の板野郡中郷高取に北灘組とみえる(鳴門市史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北」の意味・わかりやすい解説

北(区)
きた

東京都区部の北部に位置する区。北は荒川を隔てて埼玉県川口市に接する。1932年(昭和7)王子(おうじ)、岩淵(いわぶち)の両町が合併して王子区となり、滝野川(たきのがわ)町が滝野川区をつくり、その両区が1947年(昭和22)合併して北区となった。JR京浜東北線を境として、西半部は山手台地(やまのてだいち)で、台地を横切って流れる石神井(しゃくじい)川から以北は赤羽(あかばね)台、以南は上野台とよばれる。東半部は隅田(すみだ)川右岸の沖積地である。交通は、JR山手線が南東端を通り、JR東北本線と京浜東北線が併走して区部を縦断する。JR赤羽線は赤羽駅で東北本線・京浜東北線と山手線とを結んでいる。1985年に開通したJR埼京線は東北本線の一部と赤羽線を経由しており、赤羽駅はこれら各線の基点となっている。また、東京地下鉄南北線が通じ、都営地下鉄三田(みた)線が南端の豊島区との境界近くを通っている。唯一の都電荒川線も王子を中心に走り、首都高速中央環状線が通じる。区のほぼ南北方向に岩槻(いわつき)街道(日光御成道(おなりみち)、国道122号)が通って岩淵の宿場町を形成、南西端には中山道(なかせんどう)(国道17号)が通って滝野川の商店街がある。

 江戸時代、台地は江戸北郊の地で飛鳥山(あすかやま)はサクラと紅葉の名所で知られた。野菜づくりの農村地帯は、明治以後に軍用地に利用、西ヶ原の海軍火薬庫、王子の陸軍造兵廠(しょう)、赤羽の工兵隊と火薬庫などがつくられた。第二次世界大戦後は住宅地や東京外国語大学(2000年府中市に移転)などの学園用地、公務員宿舎などの公共用地に転換した。一方、水田地帯であった東半部の低地は水利と交通など工業の立地条件に恵まれ、明治初期から製紙、紡績、化学などの工業が立地するようになった。

 おもな観光・文化施設として、飛鳥山公園、旧古河(ふるかわ)庭園、名主(なぬし)の滝公園、凧市(たこいち)で有名な王子稲荷神社(いなりじんじゃ)、紙の博物館、国指定史跡の西ヶ原一里塚などがある。面積20.61平方キロメートル、人口35万5213(2020)。

[沢田 清]

『『北区史』(1992~1996・北区)』



北(旧村名)
きた

北海道中西部、空知(そらち)支庁(現、空知総合振興局)管内にあった旧村名(北村(むら))。現在は岩見沢(いわみざわ)市の北部を占める地域。2006年(平成18)、空知郡栗沢村(くりさわむら)とともに岩見沢市へ編入。旧村域は石狩(いしかり)川中流左岸の低平地を占める。1893年(明治26)山梨県人北村雄治(1871―1903)が小作人を入れて北村農場を開き、開拓が本格化した。旧村名は彼の姓に基づく。旧村域は低湿地のため再三洪水の害を受けたが、治水工事の進展により、稲作農村として穀倉地帯の一環となった。JR路線、国道とも村域内を通らないが、月形(つきがた)町域の国道275号と、岩見沢(いわみざわ)市域の函館(はこだて)本線、国道12号、道央自動車道との間に挟まれている。

[柏村一郎]

『『北村村史』(1960・北村)』


北(方角)
きた
north

方角の一つ。日の出の方角に向かって左手側にあたる。正確にいえば、方位主点(東西南北)の一つで、地軸の一端の方位を北、他端を南と定める。方位として十二支をあてる場合は子(ね)の方位となる。北はまた北風の略語として使われることもあるが、奄美(あまみ)大島や沖縄などの南西諸島では北はニシ、北風はマニシ、ニシカジとよばれ、西はイリ、西風はイリカジとよばれている。

 江戸時代には江戸では吉原遊廓(ゆうかく)を、大坂では堂島を北といった。また釈迦(しゃか)入滅のときの臥(が)法が北枕(きたまくら)であったので、北枕は仏教徒の臨終の作法となり、死者をこのように扱ったので、北を忌むようになった。しかし部屋の北側は気温や明かりの変化が小さいので、静かに読書したり安眠をするには北向きがよく、古来、寺院などでは北窓に文机(ふづくえ)を置いたり、現在はアトリエなどで北から採光をしてあるものが少なくない。

[根本順吉]

 語源については、冬至ののちふたたび太陽が戻ってくる(きたる)方角であるところからとする『和訓栞(わくんのしおり)』などの説、暗黒(きたなし)の義とする『日本釈名』などの説、日月の出没の方角たる東西を分ける(きた)意とする『東雅』などの諸説がある。北枕を忌む風習など、北にまつわる独特な習俗、名称は多い。公卿(くぎょう)、大名など身分の高い人の妻を北の方とよぶのは、彼女たちが寝殿造で正殿の北にある建物(北の対)に起居したことにより、北の政所(まんどころ)の語が摂政(せっしょう)・関白など貴人の正妻をいうのもこれによっている。

[宇田敏彦]

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百科事典マイペディア 「北」の意味・わかりやすい解説

北[区]【きた】

浜松市西部を占め,浜名湖北東部に位置する区。2007年4月,浜松市が政令指定都市となり,天竜区,区,西区,浜北区,区,区とともに区設置。北西部は愛知県境に接し,南部は浜名湖を臨む。東名高速道路,国道257号線,362号線,天竜浜名湖鉄道が通じる。浜名湖岸観光地の一部であり,三ケ日地区のミカン,臨済宗の方広寺東海道の脇街道であった姫街道の気賀関所や竜ヶ岩洞がある。2012年,北部に新東名高速道路が開通。295.54km2。9万4680人(2010)。

北[区]【きた】

新潟市北東部を占める区。2007年4月,新潟市が政令指定都市となり,秋葉区,江南区,中央区,西蒲区,西区,区,区とともに区設置。西部を阿賀野川が流れ,日本海東北自動車道,国道7号線,113号線,白新線が通じる。南西部の福島潟は渡り鳥の飛来地として有名。107.72km2。7万7621人(2010)。

北[区]【きた】

大阪府大阪市の一区。東を淀川,南を土佐堀川で画され,市役所がある中之島,大阪駅がある梅田をはじめ,曾根崎堂島天満(てんま)などの地区があり,市の行政,経済,交通の中心。新淀川南岸沿いに化学,製薬,繊維,金属,機械などの大工場が立地,市北部工業地帯の一部をなす。梅田,曾根崎一帯は〈キタ〉とよばれ,大阪を代表する繁華街を形成,ここから中央区の難波,心斎橋筋,道頓堀付近の〈ミナミ〉へ御堂筋が通じる。造幣局,大阪高裁,扇町公園がある。JR,阪急,阪神,市営地下鉄各線が通じる。1989年大淀区と合区。10.34km2。11万392人(2010)。
→関連項目大淀

北[区]【きた】

岡山市北部を占める区。2009年4月,岡山市が政令指定都市となり,区,区,区とともに区設置。区域を旭川が貫流し,川沿いに津山線,国道53号線が通じる。区域には岡山駅,岡山ジャンクションがあり,JR各線や高速道路が交差するほか,中央部には岡山空港もあり,交通の要衝。岡山城をはじめ後楽園吉備津彦神社最上稲荷などの史跡も点在する。450.70km2。30万2685人(2010)。

北[区]【きた】

東京都の特別区。1947年滝野川王子の2区が合併し成立。荒川右岸の低地とその西の武蔵野台地を占める。明治以後赤羽地区の台地上に被服,銃砲,弾薬などの軍事工場,低地には製紙・紡績・化学工場が立地して発展。昭和40年代以降大工場が外へ移転し,跡地には住宅団地やショッピングセンターが建設された。首都高速道路,東北本線,京浜東北線,山手線,埼京線,東京メトロ南北線,埼玉高速鉄道線,都電荒川線などが通じ,田端,尾久にはJRの操車場がある。飛鳥山,旧古河庭園(名勝)が行楽地となっている。20.61km2。33万5544人(2010)。
→関連項目岩淵

北[区]【きた】

熊本市北部を占める区。2012年4月,熊本市が政令指定都市となり,中央区,区,西区,区とともに区設置。合併前の鹿本郡植木町の範囲を含み,JR鹿児島本線,熊本電鉄,国道3号線・208号線・387号線が通じ,九州自動車道の植木ICがある。西部に田原坂の古戦場跡がある。115.34km2。14万5634人(2010)。

北[区]【きた】

堺市北部を占める区。区北部を大和川が西流し,北縁を大阪市と接している。区内に大泉緑地がある。2006年4月,市が政令指定都市となり,区,区,区,西区,区,美原区とともに設置。南海高野線,国道310号線が通じる。15.60km2。15万6561人(2010)。

北[区]【きた】

京都府京都市の一区。市街地北西部から北部の丹波高地にわたり,鹿苑寺(金閣寺,世界遺産),大徳寺賀茂別雷神社(上賀茂社,世界遺産)など社寺が多い。賀茂川上流の西賀茂から鷹ヶ峰にかけての洪積台地ではスグキナ,ナスを特産するが住宅地化も進む。北山の小野郷(おのごう),中川は北山丸太の産地。立命館大学がある。94.88km2。12万2037人(2010)。
→関連項目上賀茂

北[区]【きた】

兵庫県神戸市北東部の区。1973年兵庫区北部が分離して区制。六甲山地北側の高燥地で,米,野菜などの農村地域であったが,六甲,新神戸トンネル開通以後,神戸電鉄と六甲北道路沿いに神戸・三田国際公園都市など宅地化が進む。有馬温泉がある。1995年1月の兵庫県南部地震では死者11人,倒壊・焼失家屋3414戸という被害をうけた。240.29km2。22万6836人(2010)。
→関連項目兵庫[区]

北[区]【きた】

北海道札幌市北部の区。1972年区制。開拓は1860年,移住農民により始まるが,旧琴似地区の新琴似・新川・屯田(とんでん)は1887年に九州の屯田兵により始まり,屯田の名が地名に残るのは札幌市ではここだけである。1950年代後半より新琴似,屯田,篠路など農業・酪農地帯の市街地化が進む。南西部に北海道大学,あいの里地区に北海道教育大学などがあり,文教地区としても発展。札沼線,市営地下鉄が通じる。63.57km2。27万8781人(2010)。

北[区]【きた】

愛知県名古屋市北部の一区。市街地北端の庄内川沖積低地を占め,工業地区として発達,出版・印刷,化学,一般機器工業などが行われる。名古屋城に接する旧練兵場跡の名城公園,志賀公園,工業技術研究所がある。名鉄瀬戸線,小牧線,地下鉄名城線,上飯田線,東海交通事業城北線が通じ,名古屋第二環状自動車道楠ジャンクション付近一帯の庄内川北部地域は都市化が著しい。17.53km2。16万5785人(2010)。

北[区]【きた】

埼玉県さいたま市の北部を占める区。2003年区制。旧大宮市の北部に位置し,川越線,高崎線,宇都宮線,ニューシャトルが通じ近年沿線の住宅地化が進む。盆栽村,漫画会館がある。16.86km2。13万8630人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北」の意味・わかりやすい解説


きた

北海道中西部,岩見沢市北西部の旧村域。石狩平野の中央に位置する。 1919年村制施行。 2006年岩見沢市に編入。旧村名は開拓功労者の北村雄治の姓による。石狩川東岸を占める代表的米作地帯。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【那須高原】より

…栃木県北部,那須岳(1917m)の南東麓に広がる高原。標高1200mをこえる大丸(おおまる)温泉付近から標高300~400mの国道4号線付近までの扇形に広がるすそ野を指し,那須町の一部をなす。…

【梅田】より

…大阪市北区のJR大阪駅付近の交通ターミナルを中心とする地区名。18世紀初めに大坂三郷の北端に曾根崎新地が置かれて〈キタ〉と呼ばれるようになったが,1874年大阪駅が開設された時は,西成郡曾根崎村の水田地帯であった。…

【大阪[市]】より

…地形は,淀川大和(やまと)川がつくった沖積低地と上町台地によって構成される。上町台地は大坂城付近から南へ向かって細長く半島状につづく台地で,淀川に臨む台地北部は,古代の難波(なにわ)京と四天王寺,中世後期の石山本願寺,近世の大坂城が立地して,大阪の長い都市史における中核をなしてきた。台地の北側と西側には,天満から船場島之内を経て難波(なんば),粉浜(こはま)にかけて,砂州と呼ばれる微高地が帯状に伸びている。…

※「北」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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