改訂新版 世界大百科事典 「マッキア派」の意味・わかりやすい解説
マッキア派 (マッキアは)
Macchiaioli
19世紀イタリアの画家グループ。彼らが用いた粗い絵具のタッチを意味する〈マッキアmacchia(色斑)〉という用語からこの名が生まれた。グループの誕生は,1855年のパリ万国博覧会を見たデ・ティボリSerafino de Tivoli(1826-92)がフィレンツェに戻って,以前から反アカデミズムを唱えていた〈カフェ・ミケランジェロ〉に集う仲間たちに旅の成果を伝えたことに始まる。彼はパリ万博会場でバルビゾン派の絵画を見,その力強い自然主義に,彼らの今後進むべき道を見いだしたのであった。一方,理論家のマルテリDiego Martelli(1839-96)は,〈物の立体感は明暗の関係によってのみ表現でき,この関係は正確に用いられたマッキアによってのみ効果を得る〉という技法上の理論的根拠を与えて,その〈マッキア〉の役割を支持した。同じくバルビゾン派から出発し,点描技法を駆使したフランス印象派が,みずからの感覚と視覚を通して見た外界を,筆触というエレメントで再構成しようとしたのに対し,マッキア派は遠近法的秩序をもった空間を明暗で表現しようとしたにとどまり,〈マッキア〉はそのための手段にすぎなかった。その結果,印象派のような散乱する光ではなく,透明な空気の中に鮮やかに光と影が対立する。彼らはまたこの大気の広がりを表すため,極端に横長の画面をも好んだ。
ファットーリは戦争画などにおいて動きのある人物を風景と調和させ,レーガSilvestro Lega(1826-95)は戸外の婦人像など穏やかな主題を得意とした。シニョリーニTelemaco Signorini(1835-1901)は風俗的主題を,アッバーティGiuseppe Abbati(1836-68)はメランコリックな風景画を残した。このほか,R.セルネージ,V.ダンコーナ,C.バンティ,O.ボッラーニ,N.コスタ,A.チェチョーニ,V.カビアンカらがいる。グループとしての活動は1880年ころには終息し,画家たちは外国へ,あるいは版画へ,印象派的画法へとそれぞれの方向に進んでいった。
執筆者:馬渕 明子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報