ロンバルディア同盟(読み)ロンバルディアどうめい(英語表記)Lega Lombardo; Lombardischer Städtebund

精選版 日本国語大辞典 「ロンバルディア同盟」の意味・読み・例文・類語

ロンバルディア‐どうめい【ロンバルディア同盟】

  1. 神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世のイタリア政策に対抗して、北イタリアロンバルディア地方の諸都市が一一六七年に結成した同盟。八三年にはコンスタンツ和議で諸都市の自治権が承認された。盛時の参加都市は約三〇。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロンバルディア同盟」の意味・わかりやすい解説

ロンバルディア同盟
ロンバルディアどうめい
Lega Lombardo; Lombardischer Städtebund

神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 (赤髯王)の帝権伸長の意図に対抗して,ロンバルディアの諸都市が自治防衛のために結成した都市同盟フリードリヒ1世は 1154年以来コムーネに侵害されてきた皇帝特権の回復を目指し,たびたびイタリア遠征を敢行した。これに対して諸都市はその脅威を解消するため,まずベネチアが諸都市に呼びかけ,64年ベロナ同盟を結成。次いで 67年皇帝の第4次遠征に際して,ロンバルディアの諸都市が第2の同盟を結成し,2つの同盟を合体してロンバルディア同盟とした。フリードリヒ1世と対立していたローマ教皇アレクサンデル3世の支援も受け,76年レニャーノの戦いで皇帝軍に勝利を収め,83年コンスタンツの和議で皇帝の形式的宗主権を認める代りに,諸都市の自治権を回復することに成功した。 1226年に再結成されて皇帝フリードリヒ2世と対抗したが,同盟諸都市間の利害は複雑で内部的連帯は必ずしも強固ではなかった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロンバルディア同盟」の意味・わかりやすい解説

ロンバルディア同盟
ろんばるでぃあどうめい

12、13世紀イタリアの、ロンバルディアLombardia地方の主要都市が、ドイツのフリードリヒ1世および同2世の強力な支配政策に対抗して、共同防衛のために2回結成した大同盟。最初の同盟は、ローマ教皇仲介で1167年に16の都市によって結成された。同盟のシンボルとして重要防衛拠点に新都市を建設し、教皇の名をとってそこをアレッサンドリアAlessandriaと命名した。73年には31都市に膨張。76年に同盟軍がレニャーノの戦いで皇帝軍を破った。第2回目は、1226年19の都市および伯によって結成された。最初軍事的に敗北したが、のちにミラノ等の都市が抵抗して勝利を得た。この結果、一応皇帝の宗主権は認められたが、実質的に帝権は後退し、都市の自治が確立し、各地に領域的都市国家群が形成された。

[佐藤眞典]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロンバルディア同盟」の解説

ロンバルディア同盟(ロンバルディアどうめい)

イタリアへの帝権再確立を図ったフリードリヒ1世に対抗して,北イタリアの諸都市が既得の自治・自衛権その他の防衛のために結成した都市同盟。1167年にクレモーナ市の主唱で始まり,2年前にできていたヴェローナ都市同盟を吸収した。教皇アレクサンデル3世の後援を得,封建領主の多くも味方についた。76年同盟軍はレニャーノの戦いで皇帝軍を破り,83年コンスタンツの和で皇帝の宗主権を形式的に認める一方,諸都市の自主権を大幅に認めさせた。盛時の同盟参加都市は約30。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ロンバルディア同盟」の解説

ロンバルディア同盟
ロンバルディアどうめい

1167年に北イタリアの諸都市が結んだ同盟
ミラノを盟主とし,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の侵入政策に対抗して結成。皇帝軍を2回撃破した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android