20世紀日本人名事典 「北野元峰」の解説 北野 元峰キタノ ゲンポウ 江戸時代末期〜昭和期の僧侶 曹洞宗管長;永平寺67世貫主。 生年天保13年11月1日(1842年) 没年昭和8(1933)年10月19日 出生地越前国大野郡鍬掛村(福井県) 別名幼名=十吉,号=不二庵 経歴北野孫四郎の十男に生まれ、上野・最興寺の哲量について出家し江戸・青松寺の素信魯衷の法を継ぎ、明治6年同寺の住職となる。教導取締、総持寺監院、44年朝鮮布教総監、大正9年永平寺貫主、曹洞宗管長となる。この間、永平寺と総持寺の両本山分離抗争に際し調停に務めた。著書に「起信論調義」「金剛経講義」「証道歌講話」「北野元峰禅師法話集」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北野元峰」の解説 北野元峰 きたの-げんぽう 1842-1933 幕末-昭和時代前期の僧。天保(てんぽう)13年11月1日生まれ。曹洞(そうとう)宗。江戸青松寺の素信魯衷の法をつぎ,明治6年同寺の住持となる。永平寺と総持寺の両本山分離抗争に際し,調停につとめた。大正9年永平寺貫首,曹洞宗管長。昭和8年10月19日死去。92歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。法名は大夤。著作に「起信論講義」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by