北高平村(読み)きたたかひらむら

日本歴史地名大系 「北高平村」の解説

北高平村
きたたかひらむら

[現在地名]原町市上北高平かみきたたかひら下北高平しもきたたかひら

高平村の枝郷。南は高平村・北新田きたにいだ村、西は深野ふこうの村、村内を南北に浜街道が通る。天保郷帳では高平村に「古者 高平村・北高平村・植松新田三ケ村」と注記される。当村の成立については、寛文四年(一六六四)に高平村から分村したとの説(相馬藩政史)元禄(一六八八―一七〇四)検地で高分けしたとの説がある(奥相志)。また植松うえまつ新田は初め高平村、のち当村の新田となったという。天保一四年(一八四三)の検地の際に当村は上・下に分村(同書)元禄郷帳に高平村枝郷と注記され、高一千二七〇石余、ほかに植松新田七二八石余がみえる。なお元禄検地高は一千三八五石余、ほかに新田二八四石余がある(奥相志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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