医学伝習所跡(読み)いがくでんしゆうしよあと

日本歴史地名大系 「医学伝習所跡」の解説

医学伝習所跡
いがくでんしゆうしよあと

[現在地名]長崎市万才町

幕末期に開設された医師養成所の跡。安政四年(一八五七)第二次海軍伝習所の一員として来日していたオランダ商館医ポンペが開設。はじめ長崎奉行所西役所内に設置されたが、同年内に大村おおむら町の旧町年寄高島家屋敷内に移転。当初は一四人であった伝習生も諸国から参集して一三〇余人になったという。教科は物理学・化学や、包帯学、系統解剖学・組織学・生理学・病理学・内科学・理論外科学・外科学・眼科学・調剤学などで、毎日三時間、同五年以降は五時間ずつ講義された。同六年西坂にしざかの刑場で屍体解剖の実習を実施。ポンペは同五年夏のコレラ流行の際大村町に仮診療所を置いて学生や市中の医師らを指導して診療を行ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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