大村町(読み)おおむらまち

日本歴史地名大系 「大村町」の解説

大村町
おおむらまち

[現在地名]長崎市万才町まんざいまち

島原しまばら町の北西、中島なかしま川河口の右岸にある長崎うち町の一ヵ町で、陸手に属した。町並は東西に形成され、東は本博多ほんはかた町、西は外浦ほかうら町に接する(享和二年長崎絵図)。元亀二年(一五七一)大村純忠により町割が行われた六ヵ町の一つで(華蛮交易明細記)、大村からの来住者が多かったらしい。天正八年(一五八〇)四月イエズス会に寄進されて同会領となり、同一六年豊臣秀吉の直轄領とされ、地子免除であった。慶長一五年(一六一〇)の四人をはじめ大村町衆が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人抜書」橋村家文書)。一六一四年イエズス会の聖体行列が外浦町・大村町などを通過したが、これらの町は由緒があって、住民も身分ある富裕な人々ながら、主立った奉行が居住することもあって、キリスト教に好意をみせることがはばかられ、行列を歓迎する風はなかったという(アビラ・ヒロン「日本王国記」)。元和八年(一六二二)のコリャード徴収の長崎ロザリオ組中連判書付に「今大村町」のキリシタン「すぢミける」「ばすち安」「寿安」が署名している。寛永一九年(一六四二)の平戸町人別生所糺によれば、平戸ひらど町乙名の石本新兵衛は壱岐生れで、一四歳で「長崎大村町」に来てキリシタンとなり、寛永三年平戸町で転びとなった。


大村町
おおむらまち

[現在地名]三木市大村

美嚢みの川を挟んでなか町・しも町の北に位置する。三木町の地方町の一町。元和三年(一六一七)大村のうち三木町人の出作地が分離・独立して成立(延享二年「町方地方差別之訳言上書控」三木市有文書)正保郷帳では三木中嶋みきなかじま村に含まれた。延宝年間(一六七三―八一)に地方町の編成替えが行われ、下町北側の美嚢川対岸の年貢地が大村町とされた(前掲言上書控)。元禄郷帳に町名がみえ、高一三〇石余で、「古ハ中嶋町」と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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