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橋本綱常 はしもとこうじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

橋本綱常
はしもとこうじょう

[生]弘化2(1845).6.20. 福井
[没]1909.2.16. 東京
医師。幼名破魔五郎,号が簣山。福井藩医橋本長綱の4男で,長兄が橋本左内。藩校済世館で医学を学んだのち松本良順,A.ボードゥイン,D.エルメレンスにオランダ医学を学ぶ。明治3 (1870) 年兵部省に出仕,1872~77年ベルリン,ウュルツブルク,ウィーン各大学に留学。帰国後陸軍軍医監となり,78年東京大学医学部教授,82年東京陸軍病院長,85年陸軍軍医総監,陸軍軍医本部長を歴任。 84年にはジュネーブ条約加入について調査のため渡欧し,帰国後日本赤十字社設立に尽力した。 86年日本赤十字社発足に伴い同病院長に就任。 90年貴族院議員,宮中顧問官。 1906年帝国学士院会員,07年陸軍軍医会名誉会長となる。また,多くの外国から勲章を贈与され,ウュルツブルク,ウィーン,ベルリン各医学会の名誉会員でもあった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

橋本綱常 はしもと-つなつね

1845-1909 明治時代の外科学者。
弘化(こうか)2年6月20日生まれ。橋本長綱・梅尾の3男。橋本左内の弟。松本良順,ボードインらにまなぶ。明治3年兵部省にはいり,5年ドイツに留学。帰国後は東京大学教授,陸軍軍医総監などをつとめ,19年初代日本赤十字社病院長。23年貴族院議員。明治42年2月18日死去。65歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

橋本綱常

没年:明治42.2.18(1909)
生年:弘化2.6.20(1845.7.24)
明治期の医学者。日本赤十字社病院初代院長。福井藩医橋本彦也の3男として福井城下常盤町に生まれた。幕末の志士橋本左内の末弟。幼名破魔五郎。8歳で父を失い,母梅尾の手で育てられた。安政2(1855)年,左内が藩医をやめ御書院番組に転じたとき,11歳で家業を継ぎ左内を国事に専念せしめた。文久2(1862)年長崎に行き蘭人シントラーに師事し,慶応1(1865)年再度長崎に行きボードインに学んだ。戊辰戦争には医師として従軍。外科手術にいちはやく近代消毒法を導入し,外科学の進歩に寄与した。維新後は陸軍省に出仕し,明治5(1872)年ヨーロッパに留学。10年帰国して陸軍軍医監となり,また東大医学部教授として外科学を講じた。17年渡欧し,ジュネーブ条約(赤十字条約)について調査。帰国後の19年,日本赤十字社病院開設とともに院長に就任した。18年軍医総監。40年子爵。<参考文献>福田源三郎編『越前人物志』,福井県医師会編『福井県医学史』

(白崎昭一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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