十九首町(読み)じゆうくしよまち

日本歴史地名大系 「十九首町」の解説

十九首町
じゆうくしよまち

[現在地名]掛川市十九首じゆうくしゆ

掛川宿一三町の一つで、北西に向かって走る東海道往還の両側町。東は下俣しもまた町、南と西は下俣村、北は大池おおいけ村。一九首町は十九所祠前の小地名であったが、明暦元年(一六五五)に畑屋敷の高一七石余を十九首町とよぶように定めた(掛川誌稿)町名は平将門とその一門一九人の首を祀ったという首塚があることに由来する。現在行政上は「じゅうくしゅ」だが、地元では「じゅうくしょ」とよばれる。正保城絵図では町屋としてみえる。宝永(一七〇四―一一)頃の懸河城郭図に十九首、享保(一七一六―三六)頃の掛川城及城下之図(静嘉堂文庫蔵)には十九首町と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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