日本歴史地名大系 「十五里ヶ原」の解説 十五里ヶ原じゆうごりがはら 山形県:鶴岡市大山川流域地区柳原新田村十五里ヶ原北流する千安(ちやす)川両岸一帯にあり、近世の柳原新田(やなぎわらしんでん)村付近にあたる。旧大山街道が東西に通る。現在十五里ヶ原古戦場として県指定史跡となっている。天正一六年(一五八八)八月、越後村上(むらかみ)城主本庄繁長は上杉景勝の後援をうけ、武藤義勝(繁長の子)をたすけて庄内奪還の軍を起こした。大浦(おおら)城にあった最上方の中山玄蕃は関根(せきね)村の辺りで阻止しようとしたが敗れて川北(かわきた)に逃れ、最上へ敗走した。一方、最上氏と結んだ東禅寺(とうぜんじ)城(現酒田市)の東禅寺筑前は、大浦城外東方の十五里ヶ原に陣を布いて越後勢に決戦を挑んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報