十八条村(読み)じゆうはちじようむら

日本歴史地名大系 「十八条村」の解説

十八条村
じゆうはちじようむら

[現在地名]淀川区十八条一―三丁目・東三国ひがしみくに三丁目・同六丁目

東・西・北の三方を湾曲する神崎川に囲まれ、南は蒲田かまた村に接する。上十八条かみじゆうはちじようつじ・下十八条の三つの集落からなる。神崎川に榎木えのき渡・小曾根おぞね渡がある。地名は条里制の遺称と考えられ、神崎川対岸、豊島てしま垂水たるみ(現吹田市)関係史料に「垂水庄先代官榎木入道申云、当庄川ニ中島二有之、一ハ自元寺領垂水庄ノ知行也、今一号向島細川讃州領十八条ト云方ヨリ知行之、然ニ此川本ヨリ垂水之内也、十八条ハ向ニ有薬師堂、仍堂以南十八条也」(「廿一口方評定引付」寛正四年九月二日条)とみえる。


十八条村
じゆうはちじようむら

[現在地名]巣南町十八条

十七条じゆうしちじよう村の南に位置し、西をさい川、東を五六ごろく川に挟まれた平坦低地に立地。牛牧うしき輪中に属した。古代の条里遺称を村名とし、南北は一条の間隔に相当する六町で東南に長い。中世には船木ふなき庄内で十八条郷が成立、つくだの地名が残る。永禄九年(一五六六)と推定される年欠八月の十四条村氏神勧請申渡書(安藤文書)に村名がみえ、十四条じゆうしじよう(現真正町)氏神白山権現を当地に勧請することを許されている。慶長郷帳に村名がみえ、高八八四石余。加納藩家中知行渡方帳(森文書)によれば、慶長一七年(一六一二)から数年間は重臣菅沼靭負ほか八名の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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