「三師七証」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本では624年(推古32)百済の僧観勒(かんろく)の奏上によって僧正,僧都を任じたのが始まりである。その後,645年(大化1)十師(じつし)に改まったが,律令制の施行にともない683年(天武12)僧正,僧都,律師からなる僧綱(そうごう)が成立した。これは中央の僧官であるが,701年(大宝1)諸国に国師が任ぜられ,地方の仏教界の統制にあたった。…
…そして良・賤の区別を明らかにするためには〈男女の法〉を公布して,良民相互,良民と賤民,賤民相互の間に生まれた子をそれぞれ父母のどちらにつけるかを定めた。さらに僧尼統制のために〈十師〉という10人の代表者を僧の中から任命する一方では,俗人から任命した寺司らに各寺の所有する奴婢や土地を調査させるなど,新政を推進して,その年末には都を海外との交渉に便利な難波に移した。 翌646年1月1日,朝廷は4項目の〈改新之詔〉を公布した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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