ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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仏教の教義に基づき、仏・菩薩や諸王が国家を鎮め護るという思想と、それによってもたらされる効果。7世紀、日本の律令体制構築に際し、朝廷は中国の王朝に倣って護国の思想を受容し、国家の中心に位置する国王(天皇)の擁護や、国情・社会の安定、他国からの防衛といった効果を祈念すると同時に、仏教の教義を通じて諸地域住民の感情・思想面での統制を図ろうとした。具体的には、7世紀後半の天武朝より諸国に仏教経典が頒布されるとともに、金光明経(こんこうみょうきょう)・仁王般若経といった護国経典が積極的に利用され、8世紀中葉の天平期には、金光明最勝王経・法華経の思想を基盤とする国分寺・国分尼寺が諸国に建立され、中央・地方の官寺を中心に護国法要が定期的に営まれ、強力にこの思想の流布が図られた。平安期に天台・真言や南都の諸宗が独自の活動を展開するようになると、朝廷との関係を重視して鎮護国家を強調し、日本仏教の性格に大きく影響を与えた。
[本郷真紹]
『本郷真紹著『律令国家仏教の研究』(2005・法蔵館)』
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…桓武朝の末年,入唐求法(につとうぐほう)して持ち帰った最澄の天台宗,空海の真言宗がこれである。だが,南都仏教も平安仏教も,前者は〈鎮護国家〉,後者は〈護国仏教〉を標榜し,目的語句こそ異なったが,ともに古代国家の隆盛期に形成された仏教として,所詮は国家仏教の性格を共通してもっていた。だが,それでも,両者の間に政治とのかかわり方で大きな隔りがあった。…
※「鎮護国家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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