十王堂町(読み)じゆうおうどうまち

日本歴史地名大系 「十王堂町」の解説

十王堂町
じゆうおうどうまち

[現在地名]酒田市相生町あいおいちよう二丁目・二番町にばんちよう

南はかみなり小路、北は寺門前てらもんぜんまでの南北に連なる両側町。地名は地内の正徳しようとく寺門前にある十王堂に由来する。明暦二年(一六五六)の酒田町絵図(大泉叢誌)には当地が横鍛冶よこかじ町と記され、屋敷二〇軒とある。この頃は鍛冶町に対して横鍛冶町と称した。天和三年(一六八三)の酒田町割家数人数書上(鶏肋編)によると町域は一町、家数一二・人数四六。天保一二年(一八四一)には家数六二(「合浦珠」酒井家文書)。享保一一年(一七二六)当町より出火し、愛宕堂・薬師堂を含む二〇軒を焼失した(酒田市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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