日本大百科全書(ニッポニカ) 「最上氏」の意味・わかりやすい解説
最上氏
もがみうじ
足利(あしかが)一門の斯波(しば)氏の一流と称する名門武家。1356年(正平11・延文1)奥州探題(おうしゅうたんだい)斯波(大崎)家兼(いえかね)の二男兼頼(かねより)が出羽国(でわのくに)(山形県)最上郡に入部し、山形城を築いたのに始まる。その子孫がのちに最上氏を称し、羽州探題(うしゅうたんだい)として権勢を誇ったが、中ごろは不明な点が多く、一族の対立や豪族の台頭などにより、探題は空名にすぎなくなっていた。16世紀末に義光(よしあき)が継ぐと、一族を掃討して支配権力を強め、庄内(しょうない)方面に軍を進め、ついに現山形県の大半を領有する大大名に躍進した。関ヶ原の戦いでは徳川氏につき山形57万石に封ぜられた。しかしその領国体制は未熟であったため、義光の死後内紛が激化した。ついに1622年(元和8)幕府は最上義俊(よしとし)の所領57万石を没収し、近江(おうみ)大森(滋賀県東近江市)に転封して1万石(5000石は三河国内)を与えた。1631年(寛永8)嗣子(しし)義智(よしさと)幼少のためさらに5000石を削減され高家(こうけ)とされた。
[誉田慶恩]