日本歴史地名大系 「千国村」の解説
千国村
ちくにむら
白馬岳連山から流下した
千国の名は、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載る同年二月日付の乃貢未済庄々注文に「六条院千国庄」とあるのを初見とし、次いで建久元年(一一九〇)一二月に、年貢布の弁済を命じた僧某の下文(新見文書)の中に「下 六条院御領信乃国千国御庄内於他里・飯守所」とあって、現
下って長享二年(一四八八)七月の諏訪社下社の春秋之宮造宮之次第の中に、春宮の役所として「一 五間拝殿 千国・小谷」と記されていることから、現小谷村は、当時千国と小谷に区分されて統治されていたことが明らかである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報