千家村(読み)せんげむら

日本歴史地名大系 「千家村」の解説

千家村
せんげむら

[現在地名]斐川町併川(あいかわ)

北流する斐伊川右岸にあり、西は神立(かんだち)村、北は北島(きたじま)村・富(とび)村、東は富村。初め神門(かんど)郡に属した。杵築大社(出雲大社)領と松江藩領。寛永一五年(一六三八)松江藩は神門郡(のち出雲郡)内千家村の高四一〇石余を含む二千七三〇石を杵築大社に寄進している(伊波野村誌)。当村は社領三ヵ村として富・北島両村と同様特別な地位をもち、千家・北島両国造家との仲介役として下代が置かれ、庄屋・年寄を統括していた。租米は杵築(現大社町)と松江へ輸送された。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記された輪は竹中(たけなか)輪のみ。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高四九二石余(うち寺社領三四七石余)、寛文四年(一六六四)の本田高四九二石余・新田高なし。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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