神立村(読み)かんだつむら

日本歴史地名大系 「神立村」の解説

神立村
かんだつむら

[現在地名]湯沢町神立

湯沢村の南。西は三俣みつまた村。南は平標たいらびよう(一九八三・七メートル)北麓の山地となっている。村名は古原こばら(小原)宮替戸みやがいと(宮垣外)はら新田・財家ざいけ町・荒屋あらや(荒谷)田中たなか平沢ひらさわ下砥沢しもとざわ・上砥沢・七谷切ななたぎり荒戸あらと芝原しばはら一二集落の総名である。これらの集落は三俣村境の芝原峠に源を発し、北東流して魚野うおの川に合流する戸沢とざわ川沿いにあり、三国街道が湯沢村から芝原峠越で三俣村に通じる。神立の名は財家町にある魚沼神社にちなむ。同社の天正六年(一五七八)九月五日の棟札には「越後国魚沼郡上田庄石白郷 神立三社大明神」とある。慶長三年(一五九八)検地帳(神立区有文書)には「戸沢村」とあり、屋敷数五軒・名請人四人で、反別は四町四反半五七歩・高一八石六斗余、うち荒引一町七反余・高六石七斗余。同検地帳にはほかに「原新田」「柴原新田」の記載がある。正保国絵図には神立村高二四〇石余・荒戸新田高四石余がみえる。天和三年郷帳では、高三五二石四斗余のほかに、原新田高一一石八斗余・柴原新田高二〇四石三斗余。


神立村
こうだちむら

[現在地名]浜松市神立町

将監名しようげんみよう村の北に位置。中世はかば御厨のうちと考えられ、蒲神明宮が鎮座する。松平忠頼領郷村帳では高二一石余、田一町三反余・畑九反余、ほか神明(現蒲神明宮)領九四石余(田四町九反余・畑四町一反余)正保郷帳に村名はみえず、将監名村に含まれたものとみられる。延宝五年(一六七七)の浜松町村家数高間尺帳では高一六二石、神領とある。元禄郷帳では高一〇六石余。国立史料館本元禄郷帳では五社大明神領(現利町の五社・諏訪神社)と神明領、旧高旧領取調帳では五社神社領二一石余、神明社領一二八石余。


神立村
かんだちむら

[現在地名]斐川町併川あいかわ

北流する斐伊川右岸の小村。北は北島きたじま村、東は千家せんげ村、南東から南は求院ぐい村。西は斐伊川を挟んで大津おおつ(現出雲市)。初め神門かんど郡に属した。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記載された輪は川田かわだ輪・中島なかじま輪・土手下どてした輪・島田しまだ輪。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高六六四石余、寛文四年(一六六四)の本田高五八九石余・新田高六〇石余。


神立村
こうだちむら

[現在地名]八尾市神立

楽音寺がくおんじ村の南にあり、十三じゆうさん街道の河内側の登り口にあたる。集落の東端茶屋の辻ちややのつじという所から山道になり、十三峠に向かう。水呑みずのみ地蔵を通り峠を東へ越えると、大和国平群へぐり福貴畑ふきはた(現奈良県生駒郡平群町)へ出る。高安山麓にある高安郡の諸村のなかでは最も高地に位置する。古代には玉祖たまのおや(和名抄)の地で、「延喜式」神名帳に載る玉祖たまおや神社がある。「伊勢物語」のなかに高安の女のもとへ通う大和の男の話がある(筒井筒の段)。この物語は在原業平の高安通いとして有名である。十三峠越で高安へ来たと考えられて、神立付近には伝説が多く伝わる。


神立村
かんだつむら

[現在地名]土浦市神立町・北神立きたかんだつ町・中神立なかかんだつ

白鳥しらとり村・菅谷すげのや村の北西に位置する。文明二年(一四七〇)六月一日の小田成治寄進状案(法雲寺文書)に「常陸州南野庄神立郷」とあり、南野みなみの庄に入っている。天正一八年(一五九〇)結城秀康領となり、文禄四年(一五九五)二月二九日に検地が実施された(「常陸国新治郡神立村御縄打水帳」高野清一郎氏蔵)。続いて延宝六年(一六七八)には土浦藩主土屋数直によって検地が行われた(「常陸国新治郡神立村田方検地帳」同氏蔵)。二つの検地帳を比較すると、文禄では一筆当り一反歩以上の田が一二三筆あるのに対し、延宝では一一五筆にすぎず、半分以上が五畝以下の田である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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