20世紀日本人名事典 「千本福隆」の解説
千本 福隆
センモト ヨシタカ
明治・大正期の教育家 東京高等師範学校名誉教授。
- 生年
- 嘉永7年5月24日(1854年)
- 没年
- 大正7(1918)年10月30日
- 出生地
- 江戸
- 別名
- 幼名=於菟太郎,後名=基
- 学歴〔年〕
- 東京大学物理学科〔明治11年〕卒
- 経歴
- 美濃大垣の支藩戸田淡路守家臣・千本三郎右衛門恕隆の子として江戸藩邸に生まれる。明治3年戸田氏の支封野村藩の貢進生として大学南校に入りフランス語を修める。開成学校、東京大学で物理学を専攻しプロスペル、フォルチュネ、フークらのフランス語による講義を受ける。12年陸軍士官学校雇、13年文部省に入省しフランスに留学、特殊中学校・師範学校の調査・視察に当たる。21年帰国し東京高等師範学校教諭、23年同校教授となり在職の27年間を日本の自然科学教育に尽くす。大正3年退官して名誉教授となるが、文部省直轄大学の勅任教授及び名誉教授の第1号であった。日本の理系教育草分けの一人で、14年東京物理学校の創立に参画、その後の経営にも尽力した。また「中学教育代数学」など数学教科書も執筆し、数学教育にも大きく貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報