千栗土居(読み)ちりくどい

日本歴史地名大系 「千栗土居」の解説

千栗土居
ちりくどい

旧千栗村の宇土うど(現北茂安町大字白壁しらかべ石貝いしがい起点として南方の旧坂口さかぐち(現三根町大字坂口)まで一二キロに及ぶ筑後川西岸の堤防すぎ土居ともいう。佐賀藩の家臣成富兵庫茂安が一二ヵ年の歳月をかけて寛永年間(一六二四―四四)に築き上げたもの。

堤防は、敷幅三〇間、高さ四間、馬踏(天端)二間、表裏とも勾配二割、川表犬走九間、川裏三間である。東の水当りには竹を、西土居裏には杉を植え付けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の千栗土居の言及

【北茂安[町]】より

…北部は洪積台地,中・南部は筑後川に臨む低地をなし,筑紫平野の一角を占める。町名は寛永年間(1624‐44)に佐賀藩の重臣成富茂安が千栗土居(ちりくどい)を築いて筑後川の治水に成功したことに由来する。主産業は農業で,米作を中心に野菜や花卉の施設園芸が行われる。…

【三根[町]】より

…全域が筑後川の沖積地からなり,脊振山地を源とする寒水(しようず)川,切通川,井柳川などが町を縦断,クリークも縦横に走り,水害を被ることが多かった。このため,近世初期,佐賀藩士成富兵庫茂安によって,筑後川西岸に千栗(ちりく)土居が築かれた。筑後川を国境とする肥前と筑後は,江戸時代には藩境争いを繰り返し,河道の変遷もあって,現在もこの付近は佐賀・福岡両県の飛地が入りまじり,複雑な県界となっている。…

※「千栗土居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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