デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千種庵」の解説
千種庵(初代) ちくさあん
宝暦11年生まれ。江戸浅草にすみ,書店をいとなんだ。頭光(つむりの-ひかる)の門人で,壺側の判者となった。文化8年4月26日死去。51歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。姓は山中。名は恒海。通称は要助。初号は霜解道和留(しもどけの-みちわる),のち千種庵霜解,霜翁。編著に「狂歌続後万載集」など。
千種庵(4代) ちくさあん
天保(てんぽう)9年生まれ。江戸北品川で仕出屋をいとなむ。鶏告亭夜宴の門にはいり,さらに古面翁(こめんおう),燕栗園千寿(ささぐりえん-ちほぎ)についてまなび,千種庵4代を襲名した。明治32年6月9日死去。62歳。本名は佐野恒七。別号に鶏田舎秋吉,稲垣秋吉,千種庵春吉。