宇治紫文 (うじしぶん)
一中節宇治派の家元名。(1)初世(1791-1858・寛政3-安政5) 浅草材木町の名主勝田権左衛門。一中節菅野派の家元2世菅野序遊の弟子で都派に転じて都一閑斎,1849年(嘉永2)に宇治派を創立し宇治紫文斎と号す。新作を妻の倭文(わぶん)と作り,基礎を固めた。狂歌師として千種庵諸持と号した。(2)2世(1821-79・文政4-明治12) 初世の実子福太郎。初名宇治紫鳳。隠居後閑斎翁。(3)3世(1834-1903・天保5-明治36) もと幕府の御家人。菅野派で初世序柳といったが宇治派に転じ2世紫鳳,のち3世を襲名。美声できこえ,新作も多い。(4)4世(1881-1943・明治14-昭和18) 3世の孫鈴木喜久。(5)5世(1886-1970・明治19-昭和45) 4世の門弟中村ひさえ。(6)6世(1908-74・明治41-昭和49) 5世の門弟岩城采子。6世没後は理事制で宇治会を組織し名義を預かっている。
執筆者:竹内 道敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宇治 紫文(3代目)
ウジ シブン
- 職業
- 一中節太夫
- 肩書
- 宇治派家元
- 本名
- 鈴木 安次郎
- 別名
- 初名=菅野 序柳,前名=宇治 紫交,宇治 紫鳳(2代目)
- 生年月日
- 天保5年 12月17日
- 出生地
- 江戸・本所緑町(東京都 墨田区)
- 経歴
- 質商常陸屋の二男に生まれる。菅野派から転じて初代宇治倭文の弟子となり、紫交と改め、更に2代目紫鳳を経て、明治8年3代目紫文を襲名。美声で聞こえ、作曲にも「葵の上」「廓文」などすぐれた新作を残した。
- 没年月日
- 明治36年 10月21日 (1903年)
宇治 紫文(5代目)
ウジ シブン
- 職業
- 一中節太夫
- 肩書
- 宇治派家元
- 本名
- 中村 ひさえ
- 別名
- 前名=宇治 紫佐江,宇治 紫友,宇治 倭文(5代目),後名=宇治 ひさ
- 生年月日
- 明治19年 3月7日
- 出生地
- 愛知県 名古屋市
- 経歴
- 宇治りうに一中節の手ほどきを受け、大正5年4代目紫文に学ぶ。10年紫佐江、その後紫友。昭和22年5代目倭文と改め、24年5代目紫文を継承。43年引退。作曲作品に「須磨の月」がある。
- 没年月日
- 昭和45年 1月7日 (1970年)
宇治 紫文(4代目)
ウジ シブン
- 職業
- 一中節太夫
- 肩書
- 宇治派家元
- 本名
- 鈴木 喜久
- 別名
- 前名=宇治 倭文(4代目)
- 生年月日
- 明治14年 2月28日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 3代目紫文の孫娘。祖父や杵屋六繁の教えを受け、明治33年4代目倭文となり、大正10年4代目紫文襲名。格調正しい一中節を伝えた。
- 没年月日
- 昭和18年 11月11日 (1943年)
- 家族
- 祖父=宇治 紫文(3代目)
宇治 紫文(6代目)
ウジ シブン
- 職業
- 一中節三味線方
- 肩書
- 宇治派家元
- 本名
- 岩城 采子
- 別名
- 前名=宇治 文
- 生年月日
- 明治41年 1月10日
- 出生地
- 大阪府
- 経歴
- 昭和8年4代目紫文に学び、14年宇治文、43年6代目紫文を継ぐ。清元三味線の名手で“柳橋のお文”として有名。歯切れのよい三味線を弾いた。
- 没年月日
- 昭和49年 1月22日 (1974年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
宇治 紫文(5代目)
ウジ シブン
明治〜昭和期の一中節太夫 宇治派家元。
- 生年
- 明治19(1886)年3月7日
- 没年
- 昭和45(1970)年1月7日
- 出生地
- 愛知県名古屋市
- 本名
- 中村 ひさえ
- 別名
- 前名=宇治 紫佐江,宇治 紫友,宇治 倭文(5代目),後名=宇治 ひさ
- 経歴
- 宇治りうに一中節の手ほどきを受け、大正5年4代目紫文に学ぶ。10年紫佐江、その後紫友。昭和22年5代目倭文と改め、24年5代目紫文を継承。43年引退。作曲作品に「須磨の月」がある。
宇治 紫文(4代目)
ウジ シブン
明治〜昭和期の一中節太夫 宇治派家元。
- 生年
- 明治14(1881)年2月28日
- 没年
- 昭和18(1943)年11月11日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 鈴木 喜久
- 別名
- 前名=宇治 倭文(4代目)
- 経歴
- 3代目紫文の孫娘。祖父や杵屋六繁の教えを受け、明治33年4代目倭文となり、大正10年4代目紫文襲名。格調正しい一中節を伝えた。
宇治 紫文(6代目)
ウジ シブン
昭和期の一中節三味線方 宇治派家元。
- 生年
- 明治41(1908)年1月10日
- 没年
- 昭和49(1974)年1月22日
- 出生地
- 大阪府
- 本名
- 岩城 采子
- 別名
- 前名=宇治 文
- 経歴
- 昭和8年4代目紫文に学び、14年宇治文、43年6代目紫文を継ぐ。清元三味線の名手で“柳橋のお文”として有名。歯切れのよい三味線を弾いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
宇治紫文(初代) うじ-しぶん
1791-1858 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政3年生まれ。江戸浅草の名主で,一中節の2代菅野(すがの)序遊に師事。のち都派にうつり,都一閑斎を名のる。嘉永(かえい)2年宇治派をおこし,宇治紫文斎と号した。新曲を数おおくつくり,一中節宇治派の基礎をきずいた。安政5年2月23日死去。68歳。本名は勝田権左衛門。狂号は千種庵諸持(ちぐさあん-もろもち)。
宇治紫文(7代) うじ-しぶん
1933- 昭和後期-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)演奏家。
昭和8年8月8日生まれ。昭和19年から山田流箏曲(そうきょく)を中田博之にまなび,梅津博布之(うめつ-ひろふじ)を名のる。33年一中節宇治派家元の6代宇治紫文に入門し,宇治文彩(ぶんさい)の名で58,60年芸術祭優秀賞。平成3年7代紫文を襲名。8年芸術選奨。11年人間国宝。山形県出身。本名は梅津ふじ。
宇治紫文(3代) うじ-しぶん
1835*-1903 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)5年12月17日生まれ。一中節宇治派の家元。菅野(すがの)派から転じて初代宇治倭文(わぶん)に師事。明治8年3代紫文を襲名。明治36年10月21日死去。70歳。江戸出身。本名は鈴木保次郎。初名は菅野序柳。前名は宇治紫鳳(2代)。
宇治紫文(6代) うじ-しぶん
1908-1974 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)演奏家。
明治41年1月10日生まれ。一中節宇治派の家元。昭和8年4代紫文に入門,のち5代にもまなぶ。宇治文(ぶん)をへて43年6代紫文を襲名。三味線の名手で柳橋のお文とよばれた。昭和49年1月22日死去。66歳。大阪出身。本名は岩城采子(あやこ)。
宇治紫文(5代) うじ-しぶん
1886-1970 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)演奏家。
明治19年3月7日生まれ。一中節宇治派の家元。4代紫文に師事し,昭和22年5代宇治倭文(わぶん)となり,24年5代紫文を襲名。43年引退して宇治ひさと改名した。昭和45年1月7日死去。83歳。愛知県出身。本名は中村ひさえ。
宇治紫文(4代) うじ-しぶん
1881-1943 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)演奏家。
明治14年2月28日生まれ。3代宇治紫文の孫娘。一中節宇治派の家元。明治34年4代宇治倭文(わぶん)となり,大正10年4代紫文を襲名した。昭和18年11月11日死去。63歳。東京出身。本名は鈴木喜久。
宇治紫文(2代) うじ-しぶん
1821-1879 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文政4年生まれ。初代宇治紫文の子。一中節宇治派の家元。父の一周忌の安政6年2代紫文を襲名。明治12年9月13日死去。59歳。江戸出身。初名は都和中。前名は宇治紫鳳。号は閑斎翁。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
宇治紫文(初代)
没年:安政5.2.22(1858.4.5)
生年:寛政3(1791)
江戸後期,一中節の3流派のひとつ宇治派の創始者。本名は勝田権左衛門,通称雄輔。江戸浅草材木町の名主。はじめ一中節菅野派の家元2代目菅野序遊に入門し,のちに都派に転じ都一閑斎と名乗る。さらに嘉永2(1849)年に宇治紫文斎と名乗り,宇治派を樹立。新曲数十曲を作った。
宇治紫文(3代)
没年:明治36.10.21(1903)
生年:天保5.12.17(1835.1.15)
江戸後期から明治にかけての一中節宇治派の家元。美声で聞こえた。もと幕府の御家人で,三味線の糸商人。はじめ一中節菅野派で初代菅野序柳,のち宇治派に転じて2代宇治紫鳳から3代目紫文を襲名。「葵の上」「廓文」など優れた新作を残した。
宇治紫文(2代)
没年:明治12.9.13(1879)
生年:文政4(1821)
江戸後期から明治にかけての一中節宇治派の家元。初代の子で名は福太郎。はじめ初代宇治紫鳳を名乗り,父の一周忌の安政6(1859)年に2代目紫文を襲名。明治8(1875)年5月隠居後は宇治閑斎翁と号した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
宇治紫文(1世)
うじしぶん[いっせい]
[生]寛政3(1791).江戸
[没]安政5(1858).12.22. 江戸
一中節宇治派の家元。本名勝田権左衛門。浅草材木町の名主。初め2世菅野序遊の門に入り,のち都派に転じて都一閑斎。嘉永2 (1849) 年に宇治派を創立,宇治紫文斎となる。
宇治紫文(3世)
うじしぶん[さんせい]
[生]天保5(1834).江戸
[没]1903.10.21. 東京
一中節宇治派の家元。本名鈴木保次郎。初め菅野派に入り序柳,のち宇治派に転じ紫交,紫鳳を経て 1875年3世紫文襲名。『盛久』『田村丸』などを作曲した。
宇治紫文(2世)
うじしぶん[にせい]
[生]文政4(1821).江戸
[没]1879.9.13. 東京
一中節宇治派の家元。1世宇治紫文の実子。本名福太郎。前名宇治紫鳳,安政6 (1859) 年に2世を襲名。 1875年5月,隠居して閑斎翁となる。
宇治紫文(5世)
うじしぶん[ごせい]
[生]1886.3.7. 名古屋
[没]1970.1.7. 鎌倉
一中節宇治派の家元。4世宇治紫文の門弟。本名中村ひさえ。紫佐江から紫友,5世倭文を経て 1949年に5世紫文となる。 67年引退して宇治ひさ。
宇治紫文(6世)
うじしぶん[ろくせい]
[生]1911.1.10. 大阪
[没]1974.1.23. 東京
一中節宇治派の家元。本名岩城采子。4世紫文に師事し,宇治文から 1967年6世を襲名。歯切れのよい演奏と三味線の名手として知られた。
宇治紫文(4世)
うじしぶん[よんせい]
[生]1881.2.28. 東京
[没]1943.11.17. 東京
一中節宇治派の家元。3世宇治紫文の孫娘。本名鈴木喜久。 1901年に4世倭文となり,21年4世紫文を襲名。
宇治紫文(7世)
うじしぶん[ななせい]
[生]1933.8.
一中節宇治派の家元。本名梅津富士子。山田流箏曲を学ぶかたわら,6世紫文に師事し,宇治文彩から 1992年7世を襲名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宇治 紫文(4代目) (うじ しぶん)
生年月日:1881年2月28日
明治時代-昭和時代の一中節宇治派太夫。四代家元
1943年没
宇治 紫文(5代目) (うじ しぶん)
生年月日:1886年3月7日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃演奏家
1970年没
宇治 紫文(6代目) (うじ しぶん)
生年月日:1908年1月10日
昭和時代の浄瑠璃演奏家
1974年没
宇治 紫文(7代目) (うじ しぶん)
生年月日:1933年8月8日
昭和時代;平成時代の一中節三味線方
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の宇治紫文の言及
【砧】より
…(3)一中節の曲名で,《擣衣(きぬた)》と表記する。初世[宇治紫文]作曲か。河東節の歌詞をそのまま移してある。…
※「宇治紫文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」