日本歴史地名大系 「千谷川村」の解説 千谷川村ちやがわむら 新潟県:小千谷市千谷川村[現在地名]小千谷市千谷川・千谷川一―四丁目・城内(じようない)一―四丁目茶郷(ちやごう)川が信濃川左岸に注ぐ一帯にある。北は千谷村、西は市野宮(いちのみや)村、南は小千谷村。正保国絵図に村名がみえる。天和三年郷帳では高四九六石六斗余。ほかに同所新田高三三石余、同所古新田高八四石余、同所島新田高二三石二斗余。正徳元年(一七一一)から寛政一〇年(一七九八)までは与板藩領で、当村に陣屋が置かれた。「新編会津風土記」では東西に分れ、家数は東千谷川村二九・西千谷川村五一。東千谷川村の枝村下原(しもばら)一五。真言宗智山派の石打山真福(しんぷく)寺は寛弘年中(一〇〇四―一二)隆元の創始といわれ、瑞玉(みずだま)神社の別当を勤めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報