升塚村(読み)ますづかむら

日本歴史地名大系 「升塚村」の解説

升塚村
ますづかむら

[現在地名]都賀町升塚

合戦場かつせんば村の北に位置する例幣使街道沿いの村で、東は平川ひらかわ村。大永三年(一五二三)宇都宮忠綱と皆川宗成との合戦後、戦死者の遺骸方形の塚に埋葬したことから地名が生じたと伝える。塚の傍らに升塚山普門ふもん院があったが明治初年に廃寺。慶安郷帳に村名がみえ、高六六石余で下総古河藩領。元禄郷帳では高九九石余で幕府領。改革組合村では下総佐倉藩領で家数三八。旧高旧領取調帳では佐倉藩領と壬生藩領。壬生藩領になったのは延享三年(一七四六)からとされ、嘉永五年(一八五二)の壬生藩領分書上帳(粂川誠市文書)に二石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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