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宇都宮忠綱 うつのみや ただつな

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美術人名辞典の解説

宇都宮忠綱

戦国時代の武将。宇都宮城主。成綱の子。初字は彌四郎、下野守・右馬権頭と称する。大永7年(1527)歿、32才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇都宮忠綱 うつのみや-ただつな

1496-1527 戦国時代の武将。
明応5年生まれ。永正(えいしょう)9年ごろ父成綱(しげつな)の跡をつぎ,下野(しもつけ)(栃木県)宇都宮城主となる。11年佐竹,岩城の連合軍に攻められ,結城政朝の助けでしりぞける。のち政朝と対立,大永(たいえい)6年たたかって敗れ,鹿沼にのがれる。宇都宮城を叔父の宇都宮興綱にうばわれ,奪回できぬまま,大永7年7月16日没した。32歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宇都宮忠綱

没年:大永7.7.16(1527.8.12)
生年:明応5(1496)
戦国時代の武将。成綱の子。母は那須氏。永正9(1512)年ごろから宇都宮氏当主として本格的に活動開始。宇都宮家から入嗣していた宿老家の芳賀・武茂・塩谷氏との結束強化に努める一方で,勢力の拡大を目指した。しかし大永6(1526)年,忠綱の発展を嫌う姉婿の下総結城政朝が忠綱の叔父芳賀興綱と結んで宇都宮領内に攻め込むにおよび,領内猿山の地で結城氏に敗れ挫折。また,この合戦で城を離れている間に宇都宮城を興綱に奪われ,壬生氏を頼って鹿沼城へ逃れた。その後奪回を目指すが,かなわぬまま不遇のうちに死去。<参考文献>市村高男「永正九年の『宇都宮錯乱』について」(『宇大史学』4号)

(荒川善夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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