20世紀日本人名事典 「升巴陸龍」の解説 升巴 陸龍マストモ リクリョウ 明治・大正期の僧侶 太陽通信社社長。 生年明治15(1882)年 没年大正8(1919)年1月4日 出生地大分県 学歴〔年〕文学寮卒 経歴大分県見目村(現・香々地町)の長泉寺に長男として生まれる。浄土真宗本願寺派の文学寮を卒業後、本山に仕えて法主の大谷光瑞に認められた。明治35〜36年“大谷探検隊”の一員として仏跡探検に随行し、仏跡巡拝記の記録係を務めた。37年ロシア領だった満州に出張。のち太陽通信社社長となり、雑誌「黒潮」を主宰した。大正7年八幡製鉄所長官押川則吉の汚職事件に連座して逮捕されたが、無罪となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by