北太平洋中緯度の西側,日本列島の南岸に沿って南西から北東に向かって流れる強い海流。黒潮の名は,沿岸水が白っぽく見えるのに対し,沖合の流れが藍黒色に見えることに由来する。〈こくちょう〉ともいい,日本海流ともいう。また流れが急なさまを川に見たてて黒潮川という名が古くから日本の漁民,船乗りの間で伝承されてきた。このほかにも地方によってその特徴を表す異名がいくつかある。例えば〈上りしお〉(紀州以西)と〈下りしお〉(紀州以東)は京都を起点とした流向からきたものである。また桔梗水(ききようみず),上紺水(ともに東北地方)は色の類似性により,真潮(ましお)(三重県など)や本潮(紀南)などの名は黒潮が漁民にとって占めてきた位置の重要性を物語っている。さらに日の本潮,上の沖潮(ともに宮崎県),北沖潮(三陸地方),落潮(おとしお)(伊豆七島)などの呼名もある。
黒潮の存在が昔から知られていたことは,例えば《平家物語》に,鬼界ヶ島(鹿児島県硫黄島)から卒塔婆を流して瀬戸内海の宮島に漂着したという話があることからも分かるのであるが,黒潮という名前が最初に文献に現れたのは1782年(天明2)に書かれた佐藤行信の《海島風土記・八丈島》であるとされており,この中に〈……これを島にて黒潮とも山潮とも唱え……〉というくだりが見られる。また1794年(寛政6)刊の古河古松軒《八丈筆記》には,〈……黒潮は海面墨を磨りしごとく,幾百ともなく渦ばかり流れる故,見る目あやしく,これを見て目くるめかずという人無し〉という描写がある。さらにより科学的記述としては,1800年(寛政12)に橘南谿がその著《西遊記》(続編)の中で〈……伊豆の沖三十~四十里南へ出て無人島へ渡る海に黒潮という所ありて,数十里が間大河の如く唯一筋水逆巻きて流るるとなり。又東南のかた安房,上総の沖に遠く出づれば潮ただ東の方へのみ落ちて船などもそれより東へ落されて又帰ることなし……〉と述べているが,当時すでに黒潮の特徴がかなり正確につかまれていたことがわかる。
日本の南岸沿いに強い海流が存在することは外国の文献にも古くから記されており,1650年ドイツの学者ワレニウスB.Vareniusの《一般地理学》に載っているほか,クックの世界周航(1776-80)時の船長キングJ.Kingが1784年に黒潮域の測流結果を1.5ノットから3ノットと報告している。1810年ロシアの航海者クルーゼンシテルンは日本近海の海洋調査の結果を報告した中で,黒潮を日本海流と呼んだ。ベルクハウスH.Berghausが1837年に完成させた北太平洋の海図には,日本海流が流速3ノットで東流して北太平洋海流へ移行するようすが描かれている。さらに1853年には〈黒船〉を率いたペリーが黒潮調査を行っている。その調査報告がベントBentによってまとめられているが,それには黒潮は,〈太平洋赤道海流の延長で,フィリピン沖から北流に転じており,最大流速約3ノット,平均1.5~1.7ノット〉と記述されている。
黒潮海域の海洋観測が組織的に行われるようになったのは20世紀に入ってからで,1925年ごろから海軍水路部(海上保安庁水路部の前身)や中央気象台の観測船などで,広域観測が実施された。しかし第2次大戦のためそれらの資料が十分に活用されることなく,結局本格的な黒潮調査が行われるようになったのは1950年代に入ってからである。
黒潮はフィリピン東方の北赤道海流の西端に源を発し,日本南岸を通って三陸沖から東方へ流れ,北太平洋海流へと移行する。北太平洋における亜熱帯循環の西岸強化流を成しており,大西洋における湾流に対応している。図1は1970年から75年にかけての黒潮の流路の観測例を示したものであるが,1本の線が黒潮の最も強い流れの位置を表している。個々の流れは複雑な変化をしているが,平均的に見れば日本の南岸を直進していることがわかる。これに対し図2に示した1976年の観測例では,流路が紀州沖から遠州沖にかけて南側に大きく迂回している。これを黒潮の大蛇行と呼ぶ。大蛇行は一度形成されると1年から数年にわたって維持されるので安定した流路とみなせる。つまり黒潮には大別して二つの安定した流れ方があり,一つは直進型(図1),もう一つが蛇行型(図2)である。大蛇行の内側は反時計回りの冷水渦を形成している。この渦は大冷水塊とも呼ばれ,気象や漁場に影響を与えるので,かつては黒潮異変ともいわれた。またこのときには遠州灘や熊野灘に西向きの流れが生ずるので沿岸部の水位が高くなる。したがって沿岸での潮位記録を調べることによって大蛇行の存在を推定することができる。例えば図3は1974年から76年にかけての串本と浦神間の日平均潮位の差をグラフにしたものであるが,75年の終りころを境にして潮位差が顕著に異なっていることがわかる。ちょうどそのころに黒潮の大蛇行,大冷水塊が形成されていたことが,別の海洋観測より示されている。同じような日平均潮位差の変化は1934年,1953年,1959年のそれぞれにおける,大蛇行発生時にも認められる。過去の蛇行の記録を表1で示した。
黒潮は流軸での流速が約3ノットから5ノットにも達することがある非常に強い海流である。2ノット以上の流速を持つ流れの幅は30km程度である。流れはかなりの深さまで達し,700mの水深で1ノットの流速があることも珍しくない。流量は毎秒約6000万tと推定されている。
黒潮は高温かつ高塩分の水で形成されている。表層(200m以浅)の水温は夏季で30℃近く,冬季でも20℃近くになることがある。塩分は冬季には34.8‰にも達する(夏季は34‰以下に下る)。水温と塩分の断面分布をみると,流れの方向に向かって右側に高塩・高塩分水が,左側に低塩・低塩分水があり,その温度差や塩分差が大きい所(したがって密度差の大きい所)ほど流速が大きい。これは黒潮が近似的に地衡流とみなせることを示している。
黒潮は大西洋の湾流と並んで世界中で最も強い海流であり,比較的よく調査研究されている。黒潮は太平洋全体の風系および熱の分布によって駆動されているのであるが,大洋の西側にこのような強流帯ができるのは,地球が回転していることと球形であることにより,コリオリパラメーター(コリオリの力)が緯度により変化しているためである。
また,黒潮は平均的には西から東に流れるが,この黒潮本流の南側に反対方向に向かう流れが観測されている。これは黒潮反流と呼ばれ,流速0.3ノット程度の弱い流れである。
黒潮本流は関東東岸から沿岸を離れるが,この部分を本州南岸の流れと区別して黒潮続流ということがある。黒潮続流は北緯35°から36°付近に位置し,日本沿岸から千数百kmに幅の狭い強流帯を形成している。この海域は北方から南下してくる親潮との潮境となるので,水温や塩分などは急に変化している。この黒潮の北限を不連続線とみなして黒潮前線という。黒潮続流は東に行くにしたがって幅が広くなるとともに流速が弱まり,北太平洋海流へと移行する。
黒潮は日本人の生活にさまざまな影響を与えている。カツオやマグロなどの暖水性の魚類が日本南海から東北海域にまで生息しているのは黒潮の存在に負うところが大きい。特に三陸沖は親潮系の魚も集まり好漁場を形成している。また日本の夏の高い湿度は,風が暖かい黒潮上を通過してくるので湿気を多く含むことが原因である。ただし冬季には風が北西から吹くので黒潮は気候にほとんど影響しない。
→海洋大循環 →海流
執筆者:宮田 元靖
黒潮は,リン酸態リン0.5μmol/l(=μgatoms/l)以下,ケイ酸態ケイ素数μmol/l,硝酸態窒素数μmol/l以下,溶存酸素5ml/l前後であり,栄養塩濃度は親潮系水に比べて1桁少ない。したがってプランクトンも少なく,濁りも少ないため,透明度は20~45mと高く,水色は1~3と青く澄んでいる(表2)。生息している特徴的なプランクトンはクラゲ類のカツオノエボシ,カツオノカンムリ,ギンカクラゲ,橈脚(じようきやく)類のSapphirina opalina,S.gemma,Copiliamirabilis,ラン藻のTrichodesmium tiebautieなどで,放散虫,カメガイ,ヤムシ,オタマボヤ,サルパなども多く,寒海に比べて量は少ないが種類は多い。またカツオ,マグロ,ブリ,サバや,より沿岸性のイワシ,アジなど日本の主要な多獲魚が生息している。またサンマやスルメイカのように,黒潮域で産卵をしても主要な漁場は三陸沖の極前線を越えた親潮域にある種類もある。これらの魚の多くは,主生息域の南限に近い水域の岬や島の近くに産卵場がある。そこは黒潮と沿岸水の潮境にあたり,大小の渦流の発達しやすい場所でもある。これらの卵,稚子の一部は黒潮にはこばれて北上し,その間,沿岸水との間を往来するものもあれば,遠く外洋へ流れ去るものもある。シラスウナギや流れ藻につくブリの子のモジャコなどは,このようにして沿岸近くへきたものを養殖種苗として捕獲している。元来,黒潮域に住むカツオ,マグロも,沿岸水やその潮境に多いプランクトン食性のイワシなどの餌を求めて接岸もする。三陸沖の複雑に入り組んだ親潮との極前線や本州南岸にときどき出現する大型冷水塊などの周辺にも良い漁場ができる。このように黒潮との潮境は食物連鎖の上からも好漁場になるばかりでなく,水温のちがいなどが魚道を変え,入り組んだ前線の先端などには密集した魚群が形成されることがある。例えば北上中のカツオが常磐沖で黒潮前線の南側に一時停滞したり,サンマが南下の途中に常磐近海の暖水塊のため停滞・密集して好漁場となることもある。また黒潮分枝の接岸は急潮となってブリ,マグロを定置網へ入網させたり,栄養塩の不足によってテングサなどを枯死させて磯焼けが生じることもある。このように日本の南岸を洗う黒潮は沖合漁業のみならず沿岸漁業にも大きな影響をもつ。
執筆者:二村 義八朗
黒潮の流れが,気候・植生にも大きな影響を与え,西南日本における照葉樹林帯を形成する重要な要因をなした。海上交通上に諸々の意義をもつことはいうまでもなく,南方から動・植物(海の幸)をはじめ,人間や文化を運びつづけた。この海流が運ぶ漂着物や漂流者の保有する文化要素は,その共通性から〈黒潮文化〉の名で呼ぶにふさわしい。柳田国男が《海上の道》で説いた日本民族形成論や稲作導入の道筋については異見もあるが,その視点は〈黒潮の道〉を通して,南方地域と日本との人と文化の交流を考えるうえで重要である。また回遊魚を追ったり裸潜水漁労法を身につけた海民は,漂泊生活ののち,列島の各地に足跡をしるした。黒潮系民俗文化をみると,主屋から釜屋(かまや)(炊事場)を分離し別棟とする分棟型民家や高床式穀物蔵,若者組を中心とする年齢集団およびその寝宿は,南西諸島,九州南部をはじめ太平洋岸諸地域に存在する。女性の出産・月経時にこもる別小屋である産屋(うぶや)や月小屋も黒潮洗う海域の村々にみられた。背負籠のバンドを前額,頭頂部に掛ける運搬法も南方につながりをもつものである。時代はさかのぼるが,縄文・弥生時代の習俗のなかに,南方との共通性をうかがわせるものが多く,入墨や抜歯の習俗はその好例といえよう。服装の面では,貫頭衣型服装,鉢巻,腰巻,褌(ふんどし),脚絆があげられる。また,沖縄・奄美諸島でいう,海の彼方の仙界(ニライカナイ,ニルヤ,竜宮)からの来訪神信仰や,文芸の面で南方に濃厚に分布する海幸・山幸説話をはじめ,浦島子説話,羽衣伝説などが日本にも流伝し,文芸の世界を豊かなものにしている。
執筆者:北見 俊夫
高知県南西部,幡多(はた)郡の町。2006年3月大方(おおがた)町と佐賀(さが)町が合体して成立した。人口1万2366(2010)。
黒潮町南西部の旧町。太平洋に面し,幡多郡所属。人口9490(2005)。町域の大部分は山林で占められ,耕地は蠣瀬川などの下流平野に広がる。早くから開発が行われ,藩政時代には米の産地として重視された。近年は温暖な気候を生かして施設園芸が盛んで,キュウリ,イチゴ,ショウガ,タバコ,ラッキョウなどを産し,ガーベラ,ユリなどの花卉栽培も行われる。海岸部では田野浦漁港を中心に水産業が営まれ,ちりめんじゃこの生産が多い。海岸の入野松原(入野浜)は天正期(1573-92)に長宗我部元親の老臣で,中村城代となった谷忠兵衛が囚人を使って防風林として植えたものといわれる。海岸近くを土佐くろしお鉄道線,国道56号線が並行して走る。
黒潮町北東部の旧町。幡多郡所属。人口3947(2005)。土佐湾に面し,町域の大部分は山林で,中央部を南流する伊与喜川の沿岸にわずかに耕地が開かれ,集落が点在する。中心の佐賀は伊与喜川河口に位置し,17世紀ごろから漁業が盛んとなり,かつては捕鯨が行われた。現在はカツオ一本釣漁やブリの定置網漁などが行われる。農業も盛んで,米,キュウリ,シイタケ,ミカンなどを産する。中央部をJR土讃線窪川駅から分岐した土佐くろしお鉄道線が通り,国道56号線も通じる。
執筆者:萩原 毅
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日本列島の南岸を南西から北東に流れる暖流で、日本海流ともよばれる。アメリカ東岸を北上する北大西洋の湾流(ガルフストリーム)と並ぶ世界二大海流の一つである。
黒潮は、中緯度の偏西風と低緯度の貿易風からなる大規模な風系分布に起因して北太平洋を時計回りに巡る大環流の一部である。黒潮に相当する部分で流れの幅が狭まり、強い流れとなっている(西岸強化現象)のは、地球の転向力(コリオリの力)の緯度による変化(プラネタリー効果)のためである。
フィリピン東方に源を発し、台湾と石垣島の間から東シナ海に入り、大陸棚斜面に沿って北東に流れ、屋久(やく)島と奄美(あまみ)大島の間の吐噶喇(とから)海峡を経てふたたび太平洋に入っている。日本の南方では、九州および四国にかなり接近して流れ、紀伊半島沖から遠州灘(なだ)沖にかけては、沿岸沿いをほぼ直進する流路と、遠州灘沖に発生する冷水塊の縁辺部で大きく南に蛇行する流路の二つの流路が比較的安定して存在し、それぞれ黒潮非大蛇行、黒潮大蛇行とよばれている。また、非大蛇行流路には、八丈島の北を通る非大蛇行接岸流路と、南を通る非大蛇行離岸流路の二つがあり、大蛇行流路とあわせて、本州南方の黒潮流路はこれら三つに大別できる。流路変動は約20年周期がもっとも卓越している。犬吠埼(いぬぼうさき)を過ぎてからは、大きく南北に蛇行しながら日本の東方海上に流れ去る。本州沿岸を離れて東に向かう部分は、一般に黒潮続流とよばれることが多い。この続流部では蛇行の北上部が本流から切り離され、暖水塊となり、三陸沖に定着する現象が、年に1~2回観測されている。
黒潮の流速は、本州南方から東方でもっとも速く3ノットを超え、流れの幅も100キロメートルを超えることが多いが、2ノット以上の流速がみられるのは幅50キロメートル程度の部分である。また流れはかなり深層まで及んでおり、深さ600メートル付近で1ノット、1000メートル付近でも0.2ノット以上に達することも多い。またその流量は、東シナ海で毎秒2000万~3000万立方メートル、本州南方では毎秒4000万~8000万立方メートルである。黒潮は、つねに日本付近に温暖で塩分の高い海水をもたらしている。流軸付近の海面水温は、東シナ海では夏28℃(冬21℃)、遠州灘沖で夏27℃(冬17℃)内外、海面塩分は34.5~35psu(psuはpractical salinity unitの略、実用塩分単位)である。
黒潮は、南方から暖水系のマグロ、カツオを日本近海にもたらすほか、夏の高温多湿などの日本の気候にも多くの影響を及ぼしている。また、南方からの文明の渡来にも大きく貢献したと考えられている。
[長坂昂一・石川孝一]
『川合英夫著「黒潮と親潮の海況学」(『海洋科学基礎講座2』所収・1972・東海大学出版会)』▽『日高孝次著『海流の話』(1983・築地書館)』▽『堀越増興・永田豊・佐藤任弘著『日本の自然7 日本列島をめぐる海』(1987・岩波書店)』▽『星野通平・久保田正編著『日本の自然3 日本の海』(1987・平凡社)』▽『中村重久著『陸棚沿岸の高潮――理論と実態』(1994・近代文芸社)』▽『寺本俊彦編著『研究者たちの海』(1994・成山堂書店)』▽『小池一之・太田陽子編『変化する日本の海岸――最終間氷期から現在まで』(1996・古今書院)』▽『宇野木早苗・久保田雅久著『海洋の波と流れの科学』(1996・東海大学出版会)』▽『川合英夫著『黒潮遭遇と認知の歴史』(1997・京都大学学術出版会)』▽『小田静夫著『黒潮圏の考古学』(2000・第一書房)』▽『倉沢栄一著『日本の海大百科』(2001・TBSブリタニカ)』▽『関根義彦著『海洋物理学概論』4訂版(2003・成山堂書店)』
高知県南西部、幡多(はた)郡にある町。2006年(平成18)、幡多郡佐賀町(さがちょう)、大方町(おおがたちょう)が合併して成立。東から南にかけて土佐湾に面する。北東部を伊与木(いよき)川、南部を蜷(みな)川、湊(みなと)川、蛎瀬(かきせ)川などが南流して土佐湾に注ぐ。気候は温暖で、年平均気温17℃、年間降水量は2800ミリメートルに達する。土佐くろしお鉄道中村線が若井ループトンネルを通過して、また国道56号が北の窪川(くぼかわ)台地から片坂峠を経てそれぞれ町内に入り、おおむね海岸部沿いに町域を縦貫する。
東部は伊与木川沿いの低地をのぞくと山地である。伊与木川河口の佐賀は漁港で、近世には土佐湾捕鯨地の一つとなっていた。古くからカツオやブリ漁が盛んで、現在もカツオ一本釣り漁が行われている。佐賀港周辺は鹿島ヶ浦とよばれ、土佐西南大規模公園に含まれる。沖合いの鹿島は原始林で覆われ、全島が県の自然環境保全地域。西部は中世には一条家領の大方荘(しょう)となった。元弘(げんこう)の乱(1331)に敗れた後醍醐天皇の皇子尊良親王(たかながしんのう)の流刑地であり、親王関係の史跡がある。海岸には、戦国時代に始まる防潮保安林の入野松原(いりのまつばら)が3キロメートルにわたって続き、国指定名勝となっている。そのほか、式内社加茂神社、大方出身の作家上林暁(かんばやしあかつき)を記念した「大方あかつき館」などがある。稲作のほかに、キュウリなどの蔬菜(そさい)や花卉(かき)の施設園芸、砂地でのラッキョウ栽培が盛ん。入野、田野浦などの漁港があり、シラス漁などが行われる。面積188.46平方キロメートル、人口1万0262(2020)。
[編集部]
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…北太平洋中緯度の西側,日本列島の南岸に沿って南西から北東に向かって流れる強い海流。黒潮の名は,沿岸水が白っぽく見えるのに対し,沖合の流れが藍黒色に見えることに由来する。〈こくちょう〉ともいい,日本海流ともいう。…
…また潮位のピークを図の上でたどると西にいくほど遅れていると考えられる。 異常潮位の原因は黒潮の反流であるという説が最も強い。黒潮は通常日本の南岸沿いを西から東に流れている。…
…この東西に流れる海流と沿岸の海流は閉じた循環を形成している。例えば北半球の太平洋にはほぼ中央に北赤道海流が西向きに流れ,それに続いて日本近海を黒潮,その先に北太平洋海流が東流してそれが北アメリカ西岸のカリフォルニア海流となって南下し,さらに北赤道海流の東端に連なって一巡する。これが亜熱帯循環と呼ばれるものであるが,大西洋においても同様に北赤道海流,湾流,北大西洋海流,カナリア海流がやはり時計回りの循環を構成している。…
※「黒潮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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