日本歴史地名大系 「南伝馬町一丁目」の解説 南伝馬町一丁目みなみでんまちよういつちようめ 東京都:中央区旧京橋区地区南伝馬町一丁目[現在地名]中央区京橋一丁目中橋広小路(なかばしひろこうじ)町の南にあり、南下する東海道を挟む両側町。東は大鋸(おが)町・南鞘(みなみさや)町、西は桶町東会所(おけちようひがしかいしよ)・桶町二丁目。京橋北畔まで三町が続く南伝馬町の北端を占める。国役町。天正一八年(一五九〇)の徳川氏入国に際し、武蔵国住人馬込勘解由・高野新右衛門・小宮善右衛門らは駄馬人足を率いて出迎え、これを賞した徳川家康から道中伝馬役を命ぜられ、宝田(たからだ)村呉服(ごふく)橋御門内にて継飛脚給米一二石余を給された。その後慶長一一年(一六〇六)の江戸城拡張に伴い伝馬役所は郭外へ移され、一ヵ所は奥州街道(日光道中)筋の大伝馬(おおでんま)町となり、もう一ヵ所は東海道筋に代地を与えられて南伝馬町となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by