大伝馬町(読み)おおでんまちょう

精選版 日本国語大辞典 「大伝馬町」の意味・読み・例文・類語

おおでんま‐ちょう おほデンまチャウ【大伝馬町】

東京都中央区日本橋の地名江戸時代伝馬役が居住したため呼ばれた。木綿問屋が多く、木綿店(もめんだな)とも。
浮世草子好色一代男(1682)二「江戸大転馬町(おほテンマチョウ)三丁目に、絹綿の店有ける」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大伝馬町」の意味・わかりやすい解説

大伝馬町
おおでんまちょう

東京都中央区北端の一地区。町名は現在、日本橋大伝馬町として残っている。北は日本橋小伝馬町・日本橋馬喰(ばくろ)町、東は日本橋横山町・東日本橋、西は日本橋本町、南は日本橋堀留(ほりどめ)町・日本橋富沢町に接している。大伝馬町と小伝馬町の間を江戸通りが走り、東京地下鉄日比谷(ひびや)線が通じる。日本橋に近いため、かつては江戸への玄関口の役目をなし、呉服問屋、木綿問屋、旅籠(はたご)屋が軒を連ね、人馬の往来でにぎわった所である。ここに江戸初期荷物運送の伝馬役が置かれたことから地名が生まれた。当時の繁栄は現在にまで受け継がれ、卸問屋街の機能を果たしている。なお、小伝馬町の十思(じっし)公園付近は江戸時代の伝馬町牢屋敷(ろうやしき)跡で、ここで刑死した吉田松陰(しょういん)の碑がある。また、時の鐘も石町(こくちょう)から十思公園に移され「石町時の鐘」として知られる。

[菊池万雄]


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世界大百科事典(旧版)内の大伝馬町の言及

【伊勢商人】より

…彼らのうち松坂出身の三井・鈴木・殿村・小津・長谷川,射和(いさわ)出身の国分・竹川・家城,津出身の川喜多・田端屋(田中)・中条などはもっとも成功した伊勢商人として知られている。江戸の伊勢商人のうち木綿を取り扱う問屋は大伝馬町に,呉服・両替を営むものは本町に店を構えるものが多かった。中には木綿だけでなく西陣・唐反物といった絹織物を扱うものもあり,両替屋・質屋といった金融業を営むものも多かった。…

【伝馬町】より

…江戸の場合,日本橋近くに三伝馬町があった。江戸府内から五街道にかかる人足,伝馬の継立てを幕府の命により行うという道中伝馬役を負担した大伝馬町および南伝馬町,江戸府内限りの公用の交通,通信に従う江戸廻り伝馬役を負担した小伝馬町である。ほかに大伝馬町と南伝馬町に付属する町として1638年(寛永15)に起立した四谷伝馬町と赤坂伝馬町があった。…

【木綿問屋】より

… 大坂には畿内や西国諸国の木綿荷が集中するため,18世紀末ごろには播磨,和泉,淡路,備前,周防,出雲,讃岐,伊予,阿波など各地別に引請問屋があり,さらに東国向けの出荷にあたる江戸積木綿問屋があった。江戸には大伝馬町に集住する,伊勢に多く本店・本家を有する木綿問屋群と,十組(とくみ)の中の通町組・内店組所属で呉服類とともに木綿を扱う問屋群とがあり,前者は大伝馬町組,後者は白子組という仲間を結成していた。木綿製織は農閑の仕事として行われたため,商品集荷にあたっては,生産者農民―小仲買―仲買―買次(かいつぎ)―問屋といった流通組織が形成され,伊勢・尾張・三河のような木綿生産地では,江戸の問屋に出荷することを主要な業務とする買次問屋が成立し,それぞれ仲間を結成した。…

※「大伝馬町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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