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…秀吉,その姉瑞竜院日秀を生み,のち再嫁して秀長,朝日姫(徳川家康の妻)をもうけた。1583年(天正11)秀吉の大坂築城後は城内に居し,秀吉が関白になると従一位に叙せられ,大政所と称された。86年10月秀吉が家康と講和のとき,家康を上洛させるために三河岡崎城に下った。…
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[太閤伝説の成立]
秀吉の出生はなぞにつつまれており,自己宣伝的要素と重なって忠実を無視した物語が作られた。すなわち,秀吉の母(大政所,天瑞院)は萩中納言という貴族の娘で,尾張に配流されていたが,許されて上洛して宮中に仕え,再び尾張に帰ってすぐに秀吉を生んだと,天皇の落胤であることを暗示するものである。これは大村由己(ゆうこ)の《関白任官記》にも記され,ひろく流布した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」