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大政所 おおまんどころ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大政所
おおまんどころ

摂政,関白家の母の称。摂政,関白家の妻を北政所 (きたのまんどころ) と称したので,初めは母を大北政所といい,のちこれを略して大政所といった。安土桃山時代,特に豊臣秀吉の母を大政所といった。

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デジタル大辞泉の解説

おお‐まんどころ〔おほ‐〕【大政所】

《「大(おお)北の政所」の略》摂政・関白の母の敬称

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大辞林 第三版の解説

おおまんどころ【大政所】

〔「大北の政所」の略〕
摂政・関白の母の敬称。
特に、豊臣秀吉の母の敬称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大政所
おおまんどころ

摂政関白(せっしょうかんぱく)の母の称。貴人の妻を北方(きたのかた)、母を大北方といい、摂関の妻を北政所とよぶのに対し、母を大北政所と称した。大政所は大北政所の略称である。狭義には、関白太政(だじょう)大臣豊臣(とよとみ)秀吉の生母なか(1513―92)のことをいう。正室おねのことを北政所と称したことに対していい、『秀吉任官記』に「其後大坂立勅使、以御臺(みだい)任北政所、以母儀任大政所」とみえる。[橋本政宣]

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世界大百科事典内の大政所の言及

【天瑞院】より

…秀吉,その姉瑞竜院日秀を生み,のち再嫁して秀長,朝日姫(徳川家康の妻)をもうけた。1583年(天正11)秀吉の大坂築城後は城内に居し,秀吉が関白になると従一位に叙せられ,大政所と称された。86年10月秀吉が家康と講和のとき,家康を上洛させるために三河岡崎城に下った。…

【豊臣秀吉】より


[太閤伝説の成立]
 秀吉の出生はなぞにつつまれており,自己宣伝的要素と重なって忠実を無視した物語が作られた。すなわち,秀吉の母(大政所,天瑞院)は萩中納言という貴族の娘で,尾張に配流されていたが,許されて上洛して宮中に仕え,再び尾張に帰ってすぐに秀吉を生んだと,天皇の落胤であることを暗示するものである。これは大村由己(ゆうこ)の《関白任官記》にも記され,ひろく流布した。…

※「大政所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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