南十番村(読み)みなみじゆうばんむら

日本歴史地名大系 「南十番村」の解説

南十番村
みなみじゆうばんむら

[現在地名]守口市八雲中やくもなか町一―三丁目・八雲西やくもにし町一―四丁目など

単に十番村ともいう。下番しもばん村の一村で、北十番村の南に位置する。京街道は当地を通って南下守口宿に至る。守口町との境、京街道の両側一里塚があったが、現在は北側にのみその跡が残り、記念碑が建つ。江戸時代初期は北十番村と一村であった(分村の時期不明)元禄郷帳には南十番村とあり、幕府領。元文二年(一七三七)の河内国高帳には十番村と記され、高三八八石余。なお南北に分村したのち当村は、もと八番村の出在家であった下島しもじま村を合併、その時の高は七三二石余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む