日本歴史地名大系 「南大小路町」の解説 南大小路町みなみおおしようじちよう 大阪府:堺市堺南大小路町[現在地名]堺市市之(いちの)町東(ひがし)一―四丁市之町の東にあり、北は大小路に北面する片側町で、西は東六間(ひがしろつけん)筋から東は金物町(かなものちよう)筋まで東西に細長い町並を形成。南は大道から五筋目の横小路に至る。応永二三年(一四一六)一一月二五日の油屋助六畠地売券(開口神社文書)に、向井(むかい)の油屋助六の畑の四至として「北ハおう小路三郎四郎の畠」と記載されており、大小路筋に居住する三郎四郎の耕作畑が向井村にあった。天文四年(一五三五)四月二八日の念仏寺築地修理料差文(同文書)には「大小路町」の町人として「米や」「石津屋」「金田や」「誉田屋」「かしはや」「銭や」「いつミや」「八文字や」「田中」の屋号をもつ一〇人の名がみえ、堺南(さかいみなみ)庄鎮守開口(あぐち)神社の神宮寺念仏(ねんぶつ)寺の修理料を寄付しているので、この「大小路町」は南大小路をさすとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by