南本所石原町(読み)みなみほんじよいしわらちよう

日本歴史地名大系 「南本所石原町」の解説

南本所石原町
みなみほんじよいしわらちよう

[現在地名]墨田区石原いしわら一―二丁目・横網よこあみ二丁目・本所ほんじよ一丁目

大川(隅田川)東岸、御米蔵北方にある。町域は数ヵ所に分れ、東西南北とも武家地に接する。もとは南本所村の内に立てられた町屋で、田畑なども所持していたが、万治元年(一六五八)田畑は御用地として収公され、町屋はそのままとされた。同三年御用地に上野館林藩の蔵屋敷が置かれたため年貢米などの運送船が多数出入りし、諸商人や舟持らが町内に借屋・店借した。蔵屋敷の地はのち弁天小路べんてんこうじとよばれる武家地となった。貞享元年(一六八四)蔵屋敷は取払われたが入堀などはそのままとされ、貞享年中名主新平によりこの入堀跡一千九七九坪が埋立てられ町屋が立てられた。ここは埋堀片うめぼりかた町と称された。新平は元禄三年(一六九〇)にも入堀土手敷跡三三八坪の町屋取立てを許され、ここははらと俗称された。同八年この二ヵ所とも高入れとなり町並年貢を上納、同一六年には永代町屋家作御免とされた。従来の町屋も元禄九年には家作改場となり、宝永元年(一七〇四)には家作御免とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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