南染師町
みなみそめしまち
[現在地名]仙台市南染師町・文化町
通町南材木町より北東の六十人町へ延びる道の両側町で、南は南石切町、八軒小路、北は畳屋丁。「仙台鹿の子」に「染師町二ケ所あり、北目町と田町との間をいひ又若林にあり」とみえ、一方を北染師町または上染師町と称し、当町は若林染師町とも称された。両町は両染師町として町方二四町の一二番目に列し(嘉永五年「切支丹宗門改人数」)、七郷堀に沿う町並の長さは東西四町ほど(奥陽名数)。寛文九―一一年(一六六九―七一)の城下絵図では両町とも染師町とある。染師町由来(明治三九年編仙台寺院明鑑宝性院「仙台市史」所収)によれば藩祖政宗が、米沢、岩出山(現玉造郡岩出山町)と従って来た染師の一団を広瀬川右岸の越路(経ヶ峰の麓、現霊屋下)付近に居住させ、寛永一三年(一六三六)二代藩主忠宗が政宗の廟所瑞鳳殿の造営の地を同所に定めたため、現在地に移住したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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