南波村(読み)なんばむら

日本歴史地名大系 「南波村」の解説

南波村
なんばむら

[現在地名]輪之内町南波

福束ふくづか輪中の北西端に位置し、揖斐いび川左岸堤沿いに集落がある。南はさと村、北は中村なかむら輪中堤。下南波村・下難波村ともいい、上難波村は揖斐川対岸の難波野なんばの(現大垣市)のことで、同村は初め南波村の野方として開発されたという(新修大垣市史)。天正一〇年(一五八二)一〇月二一日の織田信孝宛行状(黄薇古簡集)によると「なんはの村」の闕所三一貫余が田中真吉に宛行われている。豊臣秀吉から与えられた同一六年一二月一二日の市橋長勝領知目録(内閣文庫蔵)に「五拾貫五百文 不作よし也 下なんば野」とある。慶長郷帳に下南波村・下難波村とみえ、村高四九一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では下南波村とみえ、幕府領と尾張藩領の二給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android