南清水村(読み)みなみしゆうずむら

日本歴史地名大系 「南清水村」の解説

南清水村
みなみしゆうずむら

[現在地名]湖東町南清水

愛知川右岸、大清水おおしゆうず村の北に位置し、北東は北清水村。中世には岸本きしもと庄の一部で「御前落居記録」によれば、永享二年(一四三〇)九月三日に「岸下庄号清水」とみえる。「百済寺古記」によれば、天正元年(一五七三)織田信長百済ひやくさい(現愛東町)を焼いた時の住僧岩本坊尊覚は「清水村之邑主清水氏何某之子」であった。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に村名がみえ、高八四〇石余。江戸中期に枝郷大清水村が独立し、元禄郷帳に高四〇九石余とみえる。文久二年(一八六二)上知。


南清水村
みなみしみずむら

[現在地名]茂原市清水、山武郡大網白里おおあみしらさと町清水

南流する南白亀なばき川を挟んで御蔵芝みくらしば村の東に位置する。清水村とも記す。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に南清水村とみえ、高五三六石。元禄郷帳では高六五〇石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では清水村とみえ、旗本川口・真田領、家数五三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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