南若松村(読み)みなみわかまつむら

日本歴史地名大系 「南若松村」の解説

南若松村
みなみわかまつむら

[現在地名]鈴鹿市南若松町

北若松村の西南にあり、長い海岸線をもち浜堤上または砂洲上の集落からなる。中央には金沢かなさい川が千代崎ちよざきで海に注ぎ、南に原永はらながの集落が長く延び、村域北部には枝郷の中野なかのがある。湊と関係して単に若松という場合、南若松をさすことが多い。

治承五年(一一八一)二月、源行家・義円らの挙兵に対し、平家方の命令により尾張墨股すのまた渡に出船した伊勢国の船は四八艘、水主二九八人であったが、うち若松御厨からは六艘、水主五三人を出している(「大神宮司庁出船注文」壬生家文書)。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)に「若松南御厨 没官地(中略)供贄米一石」「若松御厨 没官地 件御厨、保安元年建立之後、供祭上分之勤無懈怠、供祭物 三度御祭贄米伍斛」とある。中世以前には当村を若松南村と称した。「神鳳鈔」にも「御贄二十丁若松南御厨」「内宮若松御厨」とある。「吾妻鏡」元久元年(一二〇四)五月六日条に、いわゆる「三日平氏の乱」の張本人若菜五郎の拠る所は「伊勢国日永・若松・南村・高角・関・小野等也」とある。「若松・南村」は若松南村のことである。もともと伊勢湾沿岸は伊勢平氏の根拠地であった。若松南村の砦は、中若松村との境に近い恵花山えげやまとされる(伊勢名勝志)。現在、村域北端の墓地畑地となっていて、鈴鹿川旧河床に臨んでいる。

室町時代は若松庄として、京都天龍てんりゆう寺塔頭香厳こうごん院領であった。「蔭涼軒日録」寛正六年(一四六五)四月二二日条に「香厳院領勢州若松庄、就御参宮而被懸竹木等(下略)」とある。この頃伊勢湾諸所に海関ともいうべき警固が設けられ、神宮への上分を運ぶ神船も課税その他妨害を受けることが多かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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