南部 義籌
ナンブ ヨシカズ
江戸時代末期〜大正期のローマ字論者,漢学者
- 生年
- 天保11年(1840年)
- 没年
- 大正6(1917)年3月18日
- 出生地
- 土佐国香美郡立田村(高知県)
- 経歴
- 我国最初のローマ字首唱者として知られている。漢字を廃止してローマ字で国語を綴ることを主張し、明治2年「修国語論」を大学に進言、5年には文部省に「文字ヲ改換スルノ議」を建議。以後ローマ字の普及に尽くした。著書に「Nippon Bunten Uhi-Manabi」「Tosa no Niki」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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南部義籌
没年:大正6.3(1917)
生年:天保11(1840)
明治大正時代のローマ字論者。土佐(高知)生まれ。大庭雪斎の『訳和蘭文語』を読んで,漢字を廃止し,ローマ字で日本語を綴るべきだと主張する日本初のローマ字論者になった。『修国語論』(1869)ののち,明治5(1872)年,文部省に『文字ヲ改換スル議』を建白,世間一般の西洋崇拝の風潮を好機とし,その「人情ニ応ジ至便ノ洋字(ローマ字)ヲ以不便ノ漢字ニ換ヘ」よと述べている。ただし,南部自身は漢学者でもあった。漢文に精通する学者が漢字の廃止や制限を唱えるのは,その後もしばしばみられる一種の皮肉な現象である。<著作>《Nippon Bunten Uhi‐Manabi》
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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南部義籌 なんぶ-よしかず
1840-1917 明治時代のローマ字論者。
天保(てんぽう)11年生まれ。明治5年文部省に「文字ヲ改換スルノ議」を建議するなど,漢字を廃止してローマ字で国語をつづることを主張した。大正6年3月死去。78歳。土佐(高知県)出身。著作に「Nippon Bunten Uhi-Manabi」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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