南里村(読み)みなみざとむら

日本歴史地名大系 「南里村」の解説

南里村
みなみざとむら

[現在地名]志免町南里

別府べふ村の南東に位置し、東は酒殿さかど(現粕屋町)、西は席田むしろだ青木あおき(現福岡市博多区)。村内を宇美うみ川が流れる。永仁五年(一二九七)六月日付尚清処分状(石清水文書/鎌倉遺文二五)に正八幡宮領として「南里」とみえる。室町時代後期頃と思われる糟屋東郷年貢算用状断簡(同文書/大日本古文書四―二)に「南里 四十町」とあり、糟屋東かすやとう郷のうち。分米一二貫六〇〇文のうち納分は六貫四九五文であった。小早川時代の指出前之帳では南里村の田四九町三反余(分米五三六石余)・畠一一町二反余(分大豆二五石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高九八九石余(慶長石高帳)

南里村
なんりむら

[現在地名]川副町大字南里字東南里ひがしなんり・西南里

八田江はつたえ上流東部に位置する。南里の名は、古代条里制の佐賀郡最南端の里という意と考えられる。中世には河副南庄に属し、正応元年(一二八八)の北条為時の寺領寄進状(高城寺文書)には、この地域の南方前面が干潟荒野地であることがみえる。貞和二年(一三四六)六月一三日付の南里有家契状(同文書)によると、「河副庄三分一方内南里新々田事」とあり、南里の土豪南里源次郎が干潟を開発し、年貢を寺へ納めることを契約しており、鎌倉時代末期には南里地域は高城こうじよう(現大和町)の寺領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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