厚貝村(読み)あつかいむら

日本歴史地名大系 「厚貝村」の解説

厚貝村
あつかいむら

[現在地名]中野市大字厚貝

長丘ながおか丘陵に沿って田麦たむぎ村の北に続き、東は間長瀬まながせ村、北は壁田へきだじよう山の切通しをもって境とし、西は丘陵をめぐり流れる千曲川となっている。

村名は天正年間(一五七三―九二)頃は安皆(「高梨頼親宛行状案」別本歴代古案)、慶長年間(一五九六―一六一五)頃は安海(川中島四郡検地打立之帳)とみえ、その語源は明らかでない。その他の地名では、近くに壁田城が存在し、それに関連があると思われる、たけ・くるわ清水しみず・たてよし等の地名がある。

本村の初出の史料は、天正一一年九月一八日に高梨頼親が木島次郎に与えた高梨頼親宛行状案(別本歴代古案)である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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