20世紀日本人名事典 「原善一郎」の解説 原 善一郎ハラ ゼンイチロウ 大正・昭和期の音楽マネージャー 生年明治32(1899)年 没年昭和26(1951)年9月8日 出生地長野県 経歴早くから満州に渡り、戦時中ハルピン交響楽団マネージャーを務めた。山田耕筰に認められ、帰国後そのマネージャーとなり、近衛秀麿の新交響楽団創立に参加。シャリアピン、ワインガルトナー招待に尽力。昭和21年帰国、25年関西交響楽協会専務理事。音楽マネジャーの草分け。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原善一郎」の解説 原善一郎(1) はら-ぜんいちろう 1892-1937 大正-昭和時代前期の実業家。明治25年4月21日生まれ。原三渓の長男。原善三郎の養子。アメリカに留学し,欧州を視察。原合名副社長をはじめ,横浜興信銀行,帝国蚕糸などの重役をつとめた。美術愛好家としても知られる。昭和12年8月6日死去。46歳。神奈川県出身。早大卒。 原善一郎(2) はら-ぜんいちろう 1899-1951 大正-昭和時代の音楽マネージャー。明治32年生まれ。山田耕筰(こうさく)のマネージャーとなる。大正15年近衛秀麿の新交響楽団(現NHK交響楽団)の創立に参加した。昭和25年関西交響楽協会専務理事。昭和26年9月8日死去。52歳。長野県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例