コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

原善三郎 はら ぜんざぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原善三郎 はら-ぜんざぶろう

1827-1899 江戸後期-明治時代の実業家,政治家。
文政10年4月28日生まれ。文久2年(1862)横浜で生糸売込問屋亀屋を開業。明治6年第二国立銀行初代頭取となり,横浜商法会議所初代会頭,横浜市会初代議長などをつとめた。25年衆議院議員(当選3回),30年貴族院議員。明治32年2月6日死去。73歳。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

原善三郎

没年:明治32.2.6(1899)
生年:文政10.4.28(1827.5.23)
幕末明治期の代表的な横浜生糸売込商。屋号は亀屋。武蔵国児玉郡渡瀬村(埼玉県神川村)の商人の家に生まれる。幕末期の事情は不明の点が多いが,開港直後に横浜を訪れ,早くも万延1(1860)~文久1(1861)年ごろには輸出生糸を横浜に出荷し始めた。横浜の弁天通3丁目に店を構えて生糸商を開業した時期は,文久2年末説と慶応1(1865)年説がある。この時期の横浜生糸商の浮沈は激しいものがあったが,この波を乗り切り,明治初年には茂木惣兵衛と並ぶトップクラスの売込問屋に成長。その後も荷主に購繭資金などを前貸しし,同時に生糸の販売を委託されて手数料を徴収するという営業形態の下で,ほぼ順調に問屋規模を拡大し,晩年のころには,安田善次郎や古河市兵衛らに匹敵する所得を得るに至った。横浜商業会議所会頭に就任するなど,横浜財界に重きをなし,第二国立銀行頭取ほか多くの有力会社の役員も務めた。また明治21(1888)年には郷里に製糸場を設け,さらに善三郎の没後,孫娘の婿の富太郎が三井家から3製糸場を譲り受けて,原家は製糸経営にも本格的に手を広げた。善三郎はまとう服に1日としてしわのあるのを見ないほど潔癖で,かつ寡黙な性格だったといわれ,激変する生糸商況のなかを冷静に思慮深く,くぐりぬけていった姿が浮かび上がってくる。<参考文献>「原善三郎伝」(石井光太郎,東海林静男編『横浜どんたく』下),藤本実也『開港と生糸貿易』中

(松村敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

原善三郎
はらぜんざぶろう
(1827―1899)

横浜財界の指導者の1人。茂木惣兵衛(そうべえ)と並ぶ有力生糸売込商。武蔵(むさし)国渡瀬村(埼玉県)の豪農(醸造業、問屋、質屋を兼営)の出身。1862年(文久2)横浜に店舗(屋号・亀屋)を構え、生糸売込業を営む。急速に取引を拡大し、90年代には、古河、安田に匹敵する所得に達した。73年(明治6)には横浜生糸改会社社長、第二国立銀行初代頭取に就任。81年横浜商法会議所会頭、86年横浜蚕糸売込業組合初代頭取、89年横浜市の初代市会議長を歴任した。また92年に衆議院議員、95年には貴族院多額納税議員に互選された。著書に『生糸貿易論』(1898)がある。[西村はつ]
『野沢枕城著『原善三郎伝』(『横浜どんたく 下』所収・1973・有隣堂)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

原善三郎の関連キーワード茂木惣兵衛(初代)生糸荷預所事件原善一郎(1)金子政吉(1)横浜毎日新聞小野 光景金子 政吉明治時代原三渓実業家

今日のキーワード

きらきらネーム

俗に、一般的・伝統的でない漢字の読み方や、人名には合わない単語を用いた、一風変わった名前のこと。名字についてはいわない。どきゅんネーム。[補説]名前に使用する漢字は、戸籍法により常用漢字・人名用漢字の...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android