朝日日本歴史人物事典 「原善三郎」の解説
原善三郎
生年:文政10.4.28(1827.5.23)
幕末明治期の代表的な横浜生糸売込商。屋号は亀屋。武蔵国児玉郡渡瀬村(埼玉県神川村)の商人の家に生まれる。幕末期の事情は不明の点が多いが,開港直後に横浜を訪れ,早くも万延1(1860)~文久1(1861)年ごろには輸出生糸を横浜に出荷し始めた。横浜の弁天通3丁目に店を構えて生糸商を開業した時期は,文久2年末説と慶応1(1865)年説がある。この時期の横浜生糸商の浮沈は激しいものがあったが,この波を乗り切り,明治初年には茂木惣兵衛と並ぶトップクラスの売込問屋に成長。その後も荷主に購繭資金などを前貸しし,同時に生糸の販売を委託されて手数料を徴収するという営業形態の下で,ほぼ順調に問屋規模を拡大し,晩年のころには,安田善次郎や古河市兵衛らに匹敵する所得を得るに至った。横浜商業会議所会頭に就任するなど,横浜財界に重きをなし,第二国立銀行頭取ほか多くの有力会社の役員も務めた。また明治21(1888)年には郷里に製糸場を設け,さらに善三郎の没後,孫娘の婿の富太郎が三井家から3製糸場を譲り受けて,原家は製糸経営にも本格的に手を広げた。善三郎はまとう服に1日としてしわのあるのを見ないほど潔癖で,かつ寡黙な性格だったといわれ,激変する生糸商況のなかを冷静に思慮深く,くぐりぬけていった姿が浮かび上がってくる。<参考文献>「原善三郎伝」(石井光太郎,東海林静男編『横浜どんたく』下),藤本実也『開港と生糸貿易』中
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報