原善三郎(読み)はらぜんざぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「原善三郎」の意味・わかりやすい解説

原善三郎
はらぜんざぶろう
(1827―1899)

横浜財界の指導者の1人。茂木惣兵衛(そうべえ)と並ぶ有力生糸売込商。武蔵(むさし)国渡瀬村(埼玉県)の豪農(醸造業、問屋質屋兼営)の出身。1862年(文久2)横浜に店舗(屋号亀屋)を構え、生糸売込業を営む。急速に取引を拡大し、90年代には、古河安田に匹敵する所得に達した。73年(明治6)には横浜生糸改会社社長、第二国立銀行初代頭取に就任。81年横浜商法会議所会頭、86年横浜蚕糸売込業組合初代頭取、89年横浜市の初代市会議長を歴任した。また92年に衆議院議員、95年には貴族院多額納税議員に互選された。著書に『生糸貿易論』(1898)がある。

[西村はつ]

『野沢枕城著『原善三郎伝』(『横浜どんたく 下』所収・1973・有隣堂)』

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「原善三郎」の解説

原 善三郎
ハラ ゼンザブロウ


肩書
衆院議員(実業同志倶楽部)

生年月日
文政10年4月(1827年)

出身地
神奈川県

経歴
生糸貿易業を営む。貿易商社頭取、第二回国立銀行頭取、横浜商法会議所頭取、横浜市議、同議長、同参事会員、農商工高等会議員、鉄道会議臨時議員等を歴任した。明治25年衆院議員に当選、以来3期務めた。後に東武鉄道・東洋汽船・富士紡績取締役になった。

没年月日
明治32年2月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原善三郎」の解説

原善三郎 はら-ぜんざぶろう

1827-1899 江戸後期-明治時代実業家,政治家
文政10年4月28日生まれ。文久2年(1862)横浜で生糸売込問屋亀屋を開業。明治6年第二国立銀行初代頭取となり,横浜商法会議所初代会頭,横浜市会初代議長などをつとめた。25年衆議院議員(当選3回),30年貴族院議員。明治32年2月6日死去。73歳。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。

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