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原三渓 はら さんけい

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美術人名辞典の解説

原三渓

実業家。美術収集家。岐阜県生。名は富太郎。外祖父は画家の高橋杏村。横浜の生糸貿易の豪商、原善三郎婿養子。国宝級の絵画・古建築を収集し、三渓園にてその一部を公開する。また、現代作家養成のため再興日本美術院の画家達を援助する一方、茶人として名高く、自らも書画を能くする理想的な芸術パトロンであった。昭和14年(1939)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

原三渓

厚見郡佐波(さば)村(現・岐阜市柳津町)で代々庄屋の青木家の長男として生まれた。本名は富太郎。東京専門学校(現・早稲田大)に入学する。横浜市の生糸商・原善三郎の孫娘と結婚し、原家の養子となった。横山大観前田青邨(中津川市出身)ら近代を代表する芸術家の育成に尽力した。1923年の関東大震災後は横浜市復興会の会長などを務めた。元邸宅を一般公開した庭園「三渓園」(横浜市、約5万坪)は国の名勝になっている。

(2012-06-03 朝日新聞 朝刊 岐阜全県 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原三渓 はら-さんけい

1868-1939 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応4年8月23日生まれ。原善三郎の孫娘屋寿(やす)と結婚,生糸貿易商をつぐ。横浜に三渓園をつくって古建築を移築し,収集した美術品を展示した。また小林古径,前田青邨(せいそん)らを援助。茶人としても知られた。昭和14年8月16日死去。72歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。旧姓は青木。名は富太郎。

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大辞林 第三版の解説

はらさんけい【原三渓】

1868~1939) 実業家。近代の数寄者。岐阜県生まれ。名は富太郎。養家を横浜第一の財閥とし、その財力をもって古美術品を収集し、茶道に親しむ。本牧三渓園はその旧宅。収集品の多くは大和文華館に蔵される。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の原三渓の言及

【三渓園】より

…横浜市中区本牧三ノ谷に所在する庭園。本牧海岸には三つの谷があり,西から3番目の谷を中心として19haの広さをもつ。地域内もいくつかの谷が刻まれ,この自然の山と谷を生かして,低地に池を掘り中島をきずくものの,人工の目立たない庭園である。横浜を中心に活躍した実業家また美術収集家,茶人でもあった原富太郎(号は三渓,1868‐1939)がつくったもので,外苑と内苑に分かれ,内苑には旧紀州徳川家別業の臨春閣,二階楼閣をもつ聴秋閣,茶室春草蘆等の三渓の収集になる重要文化財建築がある。…

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