原方村(読み)はらかたむら

日本歴史地名大系 「原方村」の解説

原方村
はらかたむら

[現在地名]東根市東根

白水しろみず川と日塔につとう川の合流点に近く、白水川の左岸段丘上に広がる。北は東根村に接する。もと東根村に接続した村であったが、白水川の出水ごとに水害を受けるので現在地に移り、荒廃した原野であったため村名としたという(東根町史)。最上氏領から元和八年(一六二二)山形藩領、寛文八年(一六六八)下野宇都宮藩領となり、天和元年(一六八一)陸奥白河藩領、寛保元年(一七四一)幕府領、安政二年(一八五五)松前藩領。


原方村
はらかたむら

[現在地名]光町原方

木戸きど村の北に位置する。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳にみえ下原しもはら村が当村のこととみられ、高三六〇石で宮川組に属し、旗本宮城領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に原方村とみえ、鷹場五郷組合帳の脇篠(目篠)村・上原かんばら村・下原村の三ヵ村を原方村としたようで、高八二七石余、旗本大久保領(目篠村)・曾雌領(上原村)・佐々木領(下原村)と与力給知の四給。宮城氏の支配は寛永一二年(一六三五)から元禄一一年までで、同年から佐々木氏の支配となったとみられる。


原方村
はらがたむら

[現在地名]真壁町原方

桜川右岸にあり、東は長岡ながおか村。慶長一一年(一六〇六)浅野氏領となった時に上谷貝かみやがい村から分村と伝える(真壁郡郷土史)。元和八年(一六二二)笠間藩領となり「寛文朱印留」に村名が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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